事務所便り

コロナと裁判

| 2021年1月19日new!

 

皆様 明けましておめでとうございます。今年が皆様にとりまして良い一年となりますことを心よりお祈り申しあげます。

 さて、日本の裁判にもっとITを導入すべきであるという意見は、実は、今のコロナ騒ぎが起きる前からありました。これまで、日本の裁判は、裁判所に原告と被告双方が出頭し面つきあわせてやりとりをするのが原則とされ、遠方の裁判所の場合などに例外的に電話会議が認められる程度でした。しかし、SNSが普通に利用されている現代にこれではあまりにも時代遅れだということで、Teamsなどのインターネットによる通信手段を利用して、例えば弁護士事務所にいながら裁判に参加する、場合によっては証人尋問をするようなことまで認めるべきだという意見が叫ばれていたのです。

 一方、そのようにIT化を進めるべきであるという意見に対しては、公開の法廷で裁判を受ける権利を保障した憲法に違反するとか、証人の顔を直接見もしないような尋問では正しい事実認定はできないといった根強い反対意見もありました。

 しかし、昨年にコロナ騒ぎが起きてからは、感染防止の必要から、裁判所が当事者になるべく裁判所に来ないように指示し、裁判の進行に関する打合せを電話会議で済ませることが多くなりました。また、我々弁護士も、弁護士同士の会議や依頼者との打合せなどをオンラインで行う機会が増えました。そのような体験をふまえての私の率直な感想は、今の程度であれば電話会議やオンラインでもさほど不都合はなく、かなりのことができそうだということです。

 しかし、これがもっと事態が進み、証人尋問までもオンラインで行い、裁判官にも相手方の弁護士にも一度も会わないままに裁判が終わってしまうというようなことになればどうなのか、それが果たして裁判と言えるのか、疑問はぬぐえません。

 「必要が制度を変える」と言われますが、コロナが日本の裁判をどこまで変えるのか、注意深く見守っていきたいと思います。(弁護士 井奥圭介)

(ニュースレター2021年新年号より)

井奥圭介

新年ご挨拶

| 2021年1月18日

東大寺大仏殿

明けましておめでとうございます。新しい年を迎え、所員一同今年も心を新たに仕事に取り組みたいと念じています。どうかよろしくお願い申し上げます。

 さて、過ぐる年は、新型コロナウィルスの全世界への感染拡大による社会・経済・生活への計り知れない被害をもたらした1年でした。そしてその勢いは今なお収束どころか増大の一途を辿っています。今年は、コロナ対人類の対決をどのように決着させるかという重大な年になりそうです。14世紀中頃ヨーロッパで猛威を振るい約2500万人もの死者を出したという黒死病(ペスト)の大流行や、約1世紀前の全世界の死者5000万人というスペイン風邪の蔓延の例を繰り返すことのないよう願い、市民としてなすべきことを果たさねばと思います。

 そして国内では、コロナ騒動の渦中で菅内閣が安倍政権を引き継ぎました。良い仕事をしてくれることを期待したいものですが、その菅政権の最初の仕事が、学術会議の推薦名簿から政府の施策に批判的な6名の学者の任命拒否であったことは驚きと公憤を禁じ得ませんでした。組織改革の必要性に関しては種々議論があるものの、任命拒否の理由について「回答を差し控えます」の繰り返しや論点のすり替えでは、学術会議法違反や「学問の自由」「思想の自由」侵害という民主主義の根幹を蔑ろにするものと言わざるを得ません。「モリ・カケ・桜」問題で権力の私物化を批判された前政権の悪弊をも承継するものであり、法律家の一人として見過ごすことは許されないと痛感しています。

 一方、明るい話題といえば、小職の孫たちも夢中で読んでいるマンガ「鬼滅の刃」ブーム。残念ながら私自身は未読ですが、ノスタルジーあふれる大正時代の鬼退治の話だそうで、マンガも映画も異例の大ヒット、今やコロナ禍で喘ぐ日本経済の救世主とも言われているそうです。一つの事象が社会を動かす好例といえましょうか。

 あれやこれやでこの新年は、試練の年となりそうですが、マスク常用や過密を避け無用の外出自粛などの日常生活の不便に耐えながら、市民の権利を守る職務を誠実に全うしたいと念じています。

二〇二一年 元旦 (弁護士 赤沢敬之)

(ニュースレター2021年新年号より)

赤沢敬之

ニュースレター令和3年新年号をお届けしました

| 2021年1月15日

こんにちは!相続アドバイザーでニュースレター担当の赤澤秀行です。

大阪でも2度めの緊急事態宣言が発令され、依然としてコロナが猛威を奮っていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。新型コロナも従来のコロナと同じように、暖かくなってくれば次第に落ち着いてくるとのことですので、ここが踏ん張りどころですね。

さて、令和3年も弊事務所のニュースレター「事務所だより」新年号をお届けすることができました。弊所のニュースレターはこれまで当事務所とご縁のあった方々にお送りしておりますので、うちに来てないよ、という方はどうぞご一報ください。

年3回発行のニュースレターも、通算7号め。今号の表紙は今流行りの「鬼滅の刃」に乗っかってデザインしてみました(笑)。手に取られた方、どこが鬼滅の刃か分かりましたでしょうか?

 

あと、今回は弊所の事務所案内リーフレットも作成して同封しました。初の試みで素人感満載ですが、徐々にいいものにしていければと思っています。

 

次回は令和3年4月に春号をお届けする予定です。どうぞお楽しみに!

なお、「読者の広場」コーナーでは、投稿を募集しています。ニュースレターの感想やご意見ご質問どしどしお送りください。その他、謎解き、川柳、似顔絵なんでもどうぞ!(*^^*)

赤澤秀行

レタスの夏

| 2020年9月17日

 春先から続くコロナ禍に追い打ちをかけるような梅雨の豪雨災害と、いつになく心落ち着かない夏となりましたが、皆様におかれてはいかがお過ごしでしょうか。

 さて、この事務所ニュース夏号の巻頭言を書くにあたり、ここはやはり、目下、世間の最大の関心事であるコロナに関したことを書くべきではないかとあれこれ思いをめぐらしたのですが、私の文才ではコロナをテーマに皆様にお読みいただくような文章を書くのは無理とあきらめ、代わりに、コロナとは何の関係もない私個人のある夏の思い出を書いてお茶を濁すことをお許しください。

***

 その夏とは、1984年(昭和59年)、私が24歳の年の夏でした。弁護士を目指して大学3年から司法試験を受け始めましたが、在学中に合格することは出来ず、その年の春に大学を卒業し、人生で初めて何の肩書きも持たない浪人の身分になっていました。

 7月下旬に論文試験を受け、10月頭の合格発表まで2か月余りの期間がありましたが、その年も自分としては落ちたと思っていましたので、最後の口述試験に向けての勉強は手につかず、生活費を稼ぐ必要もあって、バイトをすることにしました。そして、その前年に知り合いの受験仲間が福島県の梨農家でバイトをして歓待されたという情報を聞き、それなら私は趣味にしていた山登りの雑誌のバイト広告で見た長野県佐久地方の川上村というところのレタス農家にしようと決め、7月のうちに東京から電車で川上村に向かいました。

***

 当時はまだ国鉄だった小海線の信濃川上という駅で降り、バイト先の農家の人(バイト仲間は「旦那さん」と呼んでいました)に車で迎えに来てもらったのですが、その旦那さんが初めて私を見た時に一瞬顔が曇ったように見え、私は自分が歓迎されていないように感じました。その理由は間もなく分かりました。

 農家に着くと、先に就労していたバイト仲間が5~6人おり、その人たちと一緒の、普段はその農家の小学生の子供の勉強部屋として使われているものと思われる大部屋に通され、そこで寝起きすることになりました。

 そして、翌日からさっそくバイト仕事が始まったのですが、朝5時に起き、朝飯をかっくらってから車に乗せられ、レタス畑に着いたのが6時頃、それからレタスの出荷作業が始まりました。

 私が担当させられたのはレタス切り、つまり、畝に列状に植わっているレタスを包丁で切っていく仕事でした。口で言うとそれだけのことですが、これが実際にやってみると大変。ご存知のように、レタスは中心の葉が球状に固まっている部分が「外葉」という少し開き気味の葉にくるまれているのですが、この外葉が2~3枚残る位置で芯を切らないといけません。この外葉がとれてしまうと、等級が下がってしまうのです。それもマイペースでやればよいというわけではありません。農協の集荷時間が午前10時頃と決まっており、それまでに集荷場に持ち込まないとその日は出荷できなくなりますので、皆、それに間に合わせようと必死で作業をするのです。ゆっくりやっていると、私が切って置いたレタスをダンボール箱に詰める役の農家の奥さんが後ろからどんどん迫ってきて、「遅い!」と怒られます。かといって慌てて切ると、外葉を全部落としてしまい、今度は旦那さんから「等級が下がる」と怒られます。そんな気の抜けない作業が3時間以上続きました。しかも、その間は中腰前屈みの姿勢で立ちっぱなしですから、最後の方は下半身の感覚が無くなりました。

 午前中にレタスの出荷を終えた後は、いったん農家に戻って昼食を食べてから、今度は午後の作業です。レタスの収穫が終わった畑に新たに作物を植えるため、土の上に張った黒色のビニールシートをはがしたり、トラクターで鋤き直した畑に苗を植えたりといった作業が夕方の6時頃まで続きました。高原とは言え、日中は真夏の容赦ない日差しが照りつけ、冷房の効いた大学の図書館で受験勉強しかしていなかった身には、まるで地中のミミズがいきなり炎天下のアスファルトの上に投げ出されたみたいなもので、終わった頃には疲労困憊で立つのもやっとの状態でした。

 そんな作業を必死の思いで2日続けた時点で、私はここは自分のような人間が来るべき場所ではなかったことを悟りました。そして、3日目の作業の休憩時間中に、旦那さんに、「バイトをやめて帰ります」と言おうと決心しました。ところが、どういう訳か、その時に、旦那さんは、買っておいた缶ジュースを皆にふるまってくれたのです。それで、私は、言う機会を逸してしまいました。そして、翌日からもあの過酷な作業に従事する羽目になってしまったのです。

 しかし、人間の体というのはおかしなもので、そんな過酷な作業も、歯を食いしばって一週間ほど続けているうちに、だんだんと体が慣れ、他の人のペースについていけるようになってきました。受験勉強中、体ごなしのため、昼休みに大学のプールで毎日泳いでいたことも少しは役に立ったのかも知れません。

 そして、お盆が近づき、畑を吹く風が少し涼しく感じる頃には、外葉を残して切ることもうまくできるようになり、旦那さんから叱られることも少なくなりました。また、畑で作業しながら遠くに見える八ヶ岳の美しい山容を眺める余裕もでてきました。

バイト仲間とレタス畑で撮った写真。前列左から二人目が筆者。後ろの山は八ヶ岳。

 ところが、その頃から、左手の中指がだんだん腫れてきて、ついには普段の太さの1・5倍くらいまで膨れあがりました。包丁で誤って切った指の傷口から畑の雑菌が入り、化膿したのです。そこで、一日バイトを休み、少し離れた佐久市内の病院に行って指を切開してもらいましたが、切った所に溜まった膿を排出するためのドレーンを差し込まれ、その上を包帯でぐるぐる巻きにされて、レタス切りどころではなくなりました。それで、川上村にいてもしょうがないので、治るまで東京に帰ることにしました。帰る時には旦那さんにそれまで働いた分の給料を精算してもらいましたが、おそらく、旦那さんは、その時、こいつはもうここには戻ってこないだろうと予想していたものと思います。

 しかし、東京に1週間ほどいて傷口がふさがった私は、お盆過ぎに、旦那さんの予想に反してまた川上村にもどり、バイト仕事に復帰しました。そして、結局、高原に朝霜が降りる9月末頃まで働きました。

***

 一緒に働いたバイト仲間には、将来自分で農業経営をすることを目指している同い年の青年や登山家を目指している人など、いろんな人がいましたが、バイトが休みの日には、一緒に奥秩父の金峰山に登ったり、清里の方にドライブに行ったりなど、いい思い出もできました。
 バイトを終えて東京に帰る日の前の晩に、旦那さんに最後の精算をしてもらいましたが、その時に、旦那さんから「井奥さん、あんたが最後まで続くとは思っていなかったよ」と言われたのは、私にとって最高の褒め言葉でした。

 そして、東京に帰る途中、浅間山麓の鬼押出しに寄り、遠く東京の方の空を眺めながら、また始まる1年間の受験生活のことを考えましたが、このバイトに比べたら司法試験の受験生活なんか楽なもんだと思え、闘志が沸いてきました。法務省中庭の司法試験合格発表会場の掲示板に自分の受験番号を発見したのはその2日後のことでした。

 それから36年、弁護士になってからも33年が経ち、仕事の上でつらい状況に立たされることも時にはありましたが、そんな時には川上村のレタス切りバイトのことを思い出し、あれができたんだからこれも何とかなるはずだと心の支えになりました。

 どなたにも、あのことを思えば頑張れるという体験が一つくらいはおありかと思いますが、私の場合のそれをお話しした次第です。

(ニュースレター2020年夏号より)

井奥圭介

ニュースレター令和2年夏号をお届けしました

| 2020年9月2日

こんにちは!相続アドバイザーでニュースレター担当の赤澤秀行です。

コロナの影響で前回春号が中止になり、夏号はどうなることかと思いましたが、なんとか弊事務所のニュースレター「事務所だより」夏号をお届けすることができました。弊所のニュースレターはこれまで当事務所とご縁のあった方々にお送りしておりますので、うちに来てないよ、という方はどうぞご一報ください。

年3回発行のニュースレターも通算6号ということで、平成30年夏創刊からちょうど2年目。今後予定通り年3回発行できれば再来年の新年号で目標の10号になります。そのころにはコロナも終息しているはず。明るいニュースをお届けできればと思っています。

次回は令和3年新春にお送りする予定です。どうぞお楽しみに!

なお、「読者の広場」コーナーでは、投稿を募集しています。ニュースレターの感想やご意見ご質問どしどしお送りください。その他、謎解き、川柳、似顔絵なんでもどうぞ!(*^^*)

赤澤秀行

弊所もいよいよオンライン対応!?

| 2020年5月1日

こんにちは!相続アドバイザーの赤澤秀行です。

5月になりましたが、未だに新型コロナウイルスが世界中を席巻しております。海外ではロックダウン(都市封鎖)が続き、我が国も緊急事態宣言の延長で外出自粛要請が続く昨今。弊所も例にもれずテレワークを導入し、私もほぼ1日おきの出勤となっています。

初めてのテレワーク、書面仕事などは比較的問題なくできるのですが、打ち合わせや面談などは、やはり事務所に出勤していないとなかなか難しい。インターネットを介したオンライン会議の手段もいろいろあるようですが、未知のものに手を出すのはなかなか億劫なもの。

といって、このコロナ禍にあっては、否も応もいってられません。また、タイミングとしては裁判手続きの本格的なオンライン化も始まったところでもあります。

[裁判]2月からウェブ会議による争点整理が開始

というわけで、弊所でもTeams(裁判所が指定するオンライン会議のソフトです)やZOOM(このコロナ禍で世界中で一気に有名になったアプリですね)などによるオンライン相談に少しずつ対応するようになってきています。

いざやってみると、意外と簡単。特にZOOMは世界中で流行るだけあって、パソコンがなくても、スマホやタブレットがあれば誰でも無料で利用でき、会議を開くのも、参加するのもとっても手軽です(セキュリティの問題は何かとあるようなので早期の対応に期待)。

ご依頼者目線でもオンライン対応はメリットが大きい気がします。現在のようにリアルの会議が難しい状況下以外でも、遠方の方や、ご高齢者様も、時間や場所、体力などをあまり気にせずに気軽に相談していただけます(そのための環境設定というハードルはありますが・・・。ここは弊所でも対応させていただければと思っています)。

いまや世界中でこのようなオンライン化へ働き方の大変革が起こっています。通信業界で5G(次世代の超高速通信)が始まるタイミング、というのも何か妙に符合している気がします。災い転じて福となす、ではないですが、ご依頼者様により便利な仕組みとして、オンライン化を進め、活用していくのが当事務所としての努めだと思います。

ともあれ、今後は弊所も積極的にオンラインでの相談や打ち合わせ、セミナー等に対応していきますので(オンライン決済にも対応する必要がありそうです)、今後ともどうぞよろしくお願い致します!

 

赤澤秀行

新年ご挨拶

| 2020年1月24日

比叡山律院

 明けましておめでとうございます。新年を迎え、所員一同今年も心を新たに仕事に取り組みたいと念じています。どうかよろしくお願い申し上げます。

 さて、昨今の世界的な傾向は、社会の分断化と敵対化、貧富の格差の固定と拡大など人々の平穏で安全な暮らしが脅かされる事態が日々進展しています。それだけでなく地球温暖化による環境問題が自然災害を増幅させる一方、核兵器や原子力発電事故の脅威もいつ人類滅亡の危機を呼び起こすのかと憂慮されます。

 また、国内においても、国民の代表たるべき政権与党が、権力の集中を笠に着て、税金の私物化にとどまらず、公文書の隠匿、廃棄などの所業を繰り返しつつ、軍事力を明記する「憲法改正」の旗を振るなど、平和主義・民主主義・基本的人権の破壊の危惧さえ感じさせられます。
いまや世界全体が地球規模ひいては宇宙規模の憂慮すべき課題に、人類一丸となって挑戦すべき事態と思わざるを得ません。

 こんなことを考えている時、昨年12月1日に大阪城ホールを埋め尽くした「一万人の第九」をホール・アリーナで聴く機会ができました。私の長男秀行、妻と次女、その長男(小6)に加え千葉在住の長女が遠路合唱に出演したのです。

 

 

 ベートーヴェン作曲の第九交響曲(1824年作)は、高校生時代からよくレコードで聴いていました。

受験勉強の傍ら愛読していたロマンローランの大河小説「ジャン・クリストフ」のモデルと言われるベートーヴェンの苦闘と栄光の生涯を思い描きつつ、勉強に拍車をかけたことを回想し、佐渡裕氏指揮の熱演に聴き入りました。

 

一万人の第九本番前の様子(大阪城ホール)

 

 いくつかの前座のプログラムのあと、壮大な音響から始まる煉獄の暗夜行路を示唆する第1楽章から第2・3楽章「天上の音楽」の対峙を経て、いよいよ最終第4楽章「歓喜の歌」の大合唱。

フリードリッヒ・フォン・シラーの詩(1785年作)を元にした「おお友らよ、これらの調べではなく、もっと心地よい、もっと喜びに満ちた調べに声を合わそう」という朗々としたバリトンの独唱に始まります。

 そしてこの第一声により、これまでの音楽に別れを告げ、新たな音楽、ベートーヴェンが求め続けていた理想の世界を歌う1万人の大音声が場内に響き渡ります。

 「すべての人は兄弟になる」

 「抱き合え、幾百万の民よ」

 「この口づけを全世界へ」

 「星空の彼方に愛しい父が住まう」

と理想の楽園に誘う調べに、一万人の合唱団に合わせ、客席の4千人の聴衆も一体となって「歓び」の世界を謳歌します。

 私も、フィナーレまでの演奏中、時のたつのも忘れ合唱に唱和し、感動を抑えることができませんでした。

 これまで度々聞いた「第九」とは違った次元で冒頭に記した現在の世界・国内の状況を思い浮かべつつ、今こそこの閉塞状況の改善にこのベートーヴェンの精神を生かしたとの思いに駆られたものでした。

 以上新春を迎えての雑感です。(弁護士 赤沢敬之)

(ニュースレター2020年新年号より)

 

赤沢敬之

ニュースレター令和2年新年号をお届けしました

| 2020年1月14日

こんにちは!相続アドバイザーでニュースレター担当の赤澤秀行です。

ご報告が遅れましたが、弊事務所のニュースレター「事務所だより」新年号、昨年末に無事発送を終えました。おそらく元旦にはお手元に届いていることと思います。これまで当事務所とご縁のあった方々にお送りしておりますので、うちに来てないよ、という方はどうぞご一報ください。

平成30年夏創刊の弊所手作りニュースレターも通算第5号。新年号、春号、夏号と、年に3回しか発行しないものの、毎回バタバタしながらなんとか締め切りに間に合わせるのが恒例になっています(^^;)。もう少し余裕を持って作れればいいんですけど、”締め切り効果”につい頼ってしまうのが人間の性というものでしょうか。。
ともあれ、目標の10号まで折り返し地点まできました。次回は令和2年残暑にお送りする予定です。どうぞお楽しみに!

なお、今号からは新しく「読者の広場」というミニコーナーを設けて、これまでのお便りから抜粋して掲載させていただいております。次号も投稿を募集しますので、どしどしお便り、メールお送りください。謎解き、川柳、似顔絵なんでもどうぞ!(*^^*)

PS.今号の謎解きの答えは・・・・「イチョウがキニナル」でした!

 

 

赤澤秀行

事務所のコピー機を入れ替えました。

| 2019年10月31日

ほぼ8年間使ってきた当事務所のコピー機(複合機)ですが、経年劣化でエラーが頻発するようになったため、今回最新の機種に入れ替えることになりました。

 

8年ぶりのコピー機。まあ、正直、基本機能は変わりません。

 

ただし、見た目はスタイリッシュになって、操作パネルもカラー液晶。Androidが搭載されているそうです。逆に機械式のボタンが無くなったのはなんだか頼りないところ(笑)。

 

タッチパネルでアイコンもいろいろカスタマイズできます。

 

基本のコピー画面。かんたんモードもあるのですが、今までと同じ配置のほうが使いやすいので、あえてクラシックモードに設定。

 

2枚めのページにはいろいろな情報を表示しています。

 

3ページ目はブックマーク。実はAndroidなのでインターネットでホームページが見れます。

 

当事務所のホームページも。表示させたところで何に使うのか不明ですが(笑)。

 

なんとYou Tubeも再生可能でした。搭載されたAndroidが古いのか、CPUが古いのか、お世辞にもスムースな再生、とまでは言えませんが、音声付きで一応まともに視聴できます。
ただ、できたところでやっぱりどうというわけではありません(笑)。

 

というわけで、今後少なくとも5年間はちょっと進化したこの機種(RICOH IM C3500)で業務をすることとなりました。できるだけ長持ちして欲しいところです。

次に入れ替えるときはどういう風に進化してくるのか、そもそもペーパーレス化でコピー文化がどうなっているのか、なかなか興味が尽きません。(*^^*)

事務局

戦争体験と弁護士

| 2019年9月12日

以下は、昨年60周年を迎えた春秋会(大阪弁護士会7つの会派の一つ)が発刊した60周年記念誌の「戦争体験と弁護士」という特集に掲載された赤沢敬之弁護士のインタビュー記事です。8月も終わり、すでに9月に入りましたが、一弁護士の戦争体験としてお読みいただければ幸いです。(インタビュアー 河村利行弁護士)

 

1.先生がお生まれになったのは?

「1936(昭和11)年2月8日に四国徳島の鳴門で生まれました。終戦の時は、9才で小学校4年生でした。」

 

 

2.戦時中のご体験は?

「昭和16年10月に、父親が上海で自動車修理工場をしており、仕事が軌道に乗ったということで、母親と祖母、妹3人が一緒に上海に行きました。神戸から豪華客船2万トンの大洋丸に乗船し、親戚の見送りがあり、2日かけて行きました。」

「昭和17年4月に上海第6国民学校に入学し、上海の共同租界で生活しました。その当時は日本も元気なころでした。近隣には、中国の家族も普通に生活しており、仲良くしていました。しかし、家の近くの上海北駅で抗日の爆破事件があったことは家の2階から見てびっくりしました。太平洋戦争が始まると、学校では軍事訓練(竹槍や手旗・モールス信号)をしたことを覚えています。」

「共同租界ですので、戦争の情報なども正確に伝わるのか、昭和19年になると、父が『日本は負ける』という情報を伝え聞いたようです。」

 

Hongkou Japantown(Wikipediaより)

 

「そこで、昭和19年10月、国民学校3年の時に日本に帰国することになりましたが、帰国の許可がなかなか下りなかったということでした。父親は、帰国の許可が下りず、また、現地の工場の整理もあって、家族だけで帰国し、父親は上海に残りました。夜の上海港の埠頭で、父と永久の別れかもしれないと子ども心に思ったことを記憶しています。」

「帰りは6千トンの軍用貨物船で、船底に茣蓙を引いて雑魚寝で、夜は灯火管制で停泊しながら、米軍機の攻撃や魚雷・水雷を避け、海岸沿いを通って1週間かかり門司港に帰ってきました。上海にはあまり緑がなかったので、門司港の緑豊かな山河が鮮烈でした。」

 

現在の関門橋と門司港

 

「甲板に皆が集められ、船長から、万一の時(船を沈められたような場合は)は、なんとかして子どもを船の外に投げ出せ、それを船員が助けるというような話があったことが印象に残っています。因みに、往路の大洋丸も帰りの軍用貨物船も敗戦までに沈没させられています。命からがらの帰国でした。」

「帰国後は、徳島の農村の父親の実家の納屋で生活することになり、その後、海岸近くの町の住宅街に移りました。帰国時は8才で、地元の国民学校3年生に転校しました。」

「納屋から一軒家に移りましたが、徳島の田舎町でしたので、空襲等の経験はありませんが、灯火管制はあり、また防空壕も空き地に作りました。徳島市内が空襲され、焼夷弾が落とされているのが遠くから見えました。農村の畔道で、米軍の飛行機に追いかけられましたが、子どもと見て飛び去ったことは覚えています。」

 

3.先生は敗戦をどのように迎えられましたか。

「昭和20年8月15日は、小学校4年生でしたが、海水浴のため海岸への道を歩いているときに、三木武吉の別荘から玉音放送が流れてくるのを聞きました。それが、終戦の放送であることは、子どもながらになんとか理解できました。」

「学校での生活も変わり、教科書を墨塗りにしたり、講堂の奥に隠された「ご真影」もなくなり、先生の態度が柔らかくなった思い出があります。校庭に生徒が集められて、新しい憲法の話もあり、昭和22年中学1年のときには、「あたらしい憲法のはなし」という冊子が社会科の教材として配られました。ずいぶん変わったのだなと思った記憶があります。」

 

『あたらしい憲法のはなし』での戦争放棄の原則を表した挿し絵。(Wikipediaより)

 

「昭和21年4月に、父親が思いがけなく帰国してきました。昭和22年に大阪で仕事を始めることになり、母親が小さな弟博之(24期・春秋会)だけを連れて大阪に出て、父親の手伝いをしておりました。」

「私が大阪の天王寺に出てきたのは、昭和24年の春、中学2年生になるときでした。四天王寺の近くが焼け野原になっているのを見て、衝撃を受けました。家族全員が大阪で生活するようになったのは、昭和25年になってからでした。」

 

空襲後の大阪市街(Wikipediaより)

 

4.先生の戦争体験は、のちに弁護士になられたこと、または、弁護士になった後の弁護士の仕事の内容と関係がありますか。

「少年時代にリンカーンの伝記を読んだり、佐藤紅緑の少年熱血小説に親しみ、何か人のために役立つことをしたいという思いは、ずっと持っていました。勿論具体的な弁護士像などは知る由もなく、大学進学の頃に法学部コースを選んだ頃から漠然と憧れを抱くようになったのではと思います。戦争体験は、平和や憲法に対する思いの基礎になっていると思います。」

 

ああ玉杯に花うけて 少年倶楽部名作選 (講談社文芸文庫)

 

「昭和36年に弁護士となり、昭和27年6月に発生した朝鮮戦争に対する米軍の軍事物質輸送に反対するデモ行進参加者を大量に逮捕し、騒擾罪で起訴をした吹田事件の主任弁護人山本治雄先生の事務所に入りました。当時若手の石川元也・井関和彦・阿形旨通(故人)先生ら常任弁護団の事務局長として度々合宿し、膨大な事件記録と格闘した青春の日々は私の原点となっています。幸いこの事件は一審無罪が最高裁で確定しました。」

 

吹田事件を扱った雑誌の記事(Wikipediaより)

 

5.第二次世界大戦をどう思いますか。戦争体験が風化している現状についてどう思われますか。

「朝鮮・中国からアジアに資源の確保を狙って日本が行った戦争が侵略戦争であったことは間違いないのであり、そのことを忘れず、若い皆さんに戦争体験を伝えていかなければならないと思います。」

「ともかく戦争は一般市民にとっていいところはなく、特に核戦争時代の現代は一触即発で国家そのものが破滅する危険にさらされています。なんとしてもそのような事態を食い止めるため、戦争の危機感を無暗に煽る政治勢力の跋扈を許さない意思と行動を選挙などで示したいものです。」

 

6.現在憲法70年経過して憲法をどう思われますか。現在の憲法改正の議論をどのように考えておられますか。

「自分の在職中に憲法9条を改正したいという首相の思いのみで、拙速に改正を議論するのは誤りです。アジアへの侵略戦争の反省もなく、アメリカの世界戦略に呼応して、自衛隊の海外派遣の道を大幅に開く可能性のある「改正案」は許してはならないと思います。幸い国民の大半は憲法改正は望んでいませんが、狡猾な手法での既成事実の積み重ねには警戒しなければなりません。」

(春秋会60周年記念誌より)

 

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