投稿者:赤沢敬之
踏んだり蹴ったり
ニュースレターより | 2023年5月9日
季節は巡り青葉若葉の好季節となりました。前号からの3か月は、私にとって「踏んだり蹴ったり」の試練の時でした。
年末から1月半ばまでの3週間はコロナ感染での寝正月。幸い重症化を免れある意味では貴重な休養となったのですが、右足の踵に床擦れが発症した褥瘡により数か月にわたり疼痛で歩行に難儀しました。いくつかの調剤を経て現在は漢方塗薬で快癒の経過を辿っています。
もう一つは、3月29日朝のゴミ出しの際、なにかの拍子にスマホがゴミ袋に入り込んだらしく、昼前に気付いたが後の祭り。どこを探しても見つからず、やむなく次男の協力のもとスマホ購入店舗との電話やネットでの探索作業の結果、万博記念公園付近のゴミ処理場で焼却待ち、同日中に焼却の運命であることが判明しました。
ただ不幸中の幸いで、他人の手に渡り悪用される懸念がないことが分かりひと安堵。数日後代替品を入手できましたが入力データの一部の復元は無理でした。この間の1週間は外出中に家や事務所にも連絡ができず「束手無策」の毎日でした。
こんな経験をした老年の日々でしたが、これを教訓として些細なことにも万全の注意を怠らないよう努めたいと念じています。(弁護士 赤沢敬之)

自宅の庭にて(2023.4)
言葉の魔術
ニュースレターより | 2023年5月8日

宝塚市・花のみち
人間社会には言葉が意思伝達の不可欠の道具であり、言葉を通じてそれぞれの人間関係や社会集団の合意形成や意思分裂の結果をもたらすこととなる。歴史的には、対面の会話に始まり、手紙や電話での遠距離の対話から、ラジオ・テレビ・新聞・雑誌や書物などメディアによる広域にわたる意思伝達へと広がりを見せ、遂にはインターネットやAIによるSNSなど情報伝達の媒体へと異常な進化を見せている。
言葉には、それぞれに多義的な解釈を伴うことが多く、それが人間の認識を動かす原動力となることがよく見られる。裁判においても、法解釈の多様性が避けられず、解釈次第で結論が左右される。いわんや政治の世界においてをや。
憲法9条の戦争放棄の条項をめぐり、岸田内閣が国会の論議を経ずに閣議決定と称し、「敵基地攻撃能力(先制攻撃)」の保有は合憲との言葉で「防衛装備」(武器)として攻撃用ミサイルの保有を認め、さらに海外への武器輸出制限を緩和するなど言葉を巧みに使って国民の合意を求めようとする。まさに「言葉の魔術」というほかない。2015年の高市早苗総務相の放送法をめぐる政治的公平性の解釈変更の行政指導とその経緯もその一例であろう。
かつて我が国は、アジア侵略戦争を合理化する「大東和共栄圏建設」のスローガンで国民を駆り立て、やがて「一億玉砕」に至った戦前の歴史も、言葉の魔術の悪しき前例である。
「新しい資本主義」「異次元の改革」「前例のない」「さまざまな」などの言葉だけで中身の具体的な説明をしない「政策」には眉に唾を塗って警戒を怠らず、「新しい戦前」の来ないよう努めたいと痛切に感じる昨今である。「憲法記念日」を前にしての雑感である。(弁護士 赤沢敬之)
(ニュースレター令和5年GW号より)
囲碁に数独、ときどき仕事
ニュースレターより | 2023年1月18日
新年おめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
コロナ蔓延から早や4年目を迎え、日常生活も以前と大きな変化をもたらしましたが、お陰様で歳相応の不具合はありますものの、ほぼ毎日事務所に出ています。
寄る年波には勝てず、一日の過ぎる速さが以前と比べ半分に、おまけに作業能力も半減しますので、仕事の効率は4分の1になりましたが、好奇心はなお衰えずAI囲碁の新戦法や新聞のクロスワードや数独にすぐ飛びついて少ない時間を費やす日々です。なお、本業の方は相談を主としております。(弁護士 赤沢敬之)

大阪弁護士会の囲碁大会に臨む
親子孫3世代白浜温泉の旅
ニュースレターより | 2022年9月21日
8月の夏季休暇、11日から14日にかけて毎年恒例の白浜家族旅行に出かけました。親子孫の3世代総勢12名が4室に分かれ、子達は昼は白良浜海岸での海水浴、夜は全員海辺の食堂での夕食を楽しみました。
私は、年相応の脊柱管狭窄症による足の痺れを癒すため昼は部屋で読書や囲碁棋譜を眺めて休息し、夜の温泉入浴に時間をかけました。おかげで温泉効果なのでしょうか足の痺れが平素より軽減し、白浜の坂道や階段の歩行がやや楽になったような気がします。
(ニュースレター令和4年残暑号より)
有為転変の夏―国葬をめぐって
ニュースレターより | 2022年9月16日
この夏は、6月の猛暑と最速の梅雨明けのあとの猛暑続きという異常な気候変動やコロナ禍の感染拡大、ロシアプーチンのウクライナ侵略の長期化に加え、参議院選挙投票日の直前の安倍元総理銃撃暗殺事件という衝撃的な出来事が重なる例年にない有為転変の夏でした。
旧統一協会に恨みを抱く犯人の動機はともあれ、元総理の暗殺は許されない行為でありますが、この事件が契機となり予想外の世の動きが始まったのには驚かされました。
犯人が開けたパンドラの箱から長年にわたり隠されてきた思わぬ事実が次々と飛び出しました。霊感商法、高額献金などの不法な反社会的行動で世間を騒がせた旧統一協会と政権与党の安倍総裁はじめ多くの議員との結びつきが次々と白日の下に曝され、参院選で大勝したばかりの与党を揺さぶるこことなりました。
これに先立ち岸田総理は、いち早く独断で安倍氏の葬儀を国葬とするとの意向を示し、国会にも諮らず閣議決定により9月27日に実施を決めました。しかし、戦前の「国葬令」は廃止され、天皇の場合にのみ皇室典範で「大喪の礼」が規定されるのみで、多大な国民の税金を使って国葬を行う法的根拠はありません。「聞く耳」を売り物にする岸田総理としては、今回の悲劇を政治利用して安倍氏を天皇並みに祭り上げ、「モリカケサクラ」の虚偽答弁108回を帳消しにし、自己の政治基盤を安定化するチャンスと目論んだのでしょうが、これは少々早やとちりでした。
案の定次から次へと旧統一協会の自民党首脳部や議員への選挙を通じての協力と引き換えに同協会の名称変更の理由なき同意や教会の悪のイメージの消去にお墨付けを与えてきた経過が報道されるに至りました。選挙後の内閣改造による新内閣の布陣にも多くの協会関与者が含まれ、「国葬」反対の民意が徐々に高まり、今や数々の世論調査で反対が60~80%にも達する勢いです。
民主主義の基本が侵されようとする現在、今後果たしてどうなるのか注視して行きたいと思います。
(ニュースレター令和4年残暑号より)
心温まる贈り物

千里南公園(撮影:赤沢敬之)
新年年明け早々、自宅に現金書留封書が届いた。心覚えもなくなにかの相談の謝礼金なのかと思い、差出人を見るとKY(KK)とある。
KK君は高津高校の同学年でクラスは違ったが気の置けない友人だった。しかし卒業後70年間、同君は同窓会にはあまり出席したことがなく、なにかの相談で20年か30年前に事務所に見えたことだけがかすかな記憶に残っていた。
文面を開くと、「私はKKの長女ですが、生前父より昔赤沢様より5万円を借りたことがある、とても助かった、返さなければと聞いたことがあります。当時の私はなぜ行動しないのかと思っていましたが、自分も歳を重ね、気持ちはあっても一歩を踏み出せないということを理解ができるようになりました。 先日赤沢様の年賀状でご住所が分かりましたので、突然で不躾ではございますが父の思いを継ぎお返し致したく送らせて頂きます。当時とは価値が変わっていて申し訳ありませんが、お受け取り頂ければ幸いです」とのことである。
一読して、そんなことがあったかなと記憶を辿ったが思い出せない。そのまま受け取るのも気が引けるので、4,5日後、記載の電話番号に電話をしたところ、KK君は昨年8月に亡くなり、お母様も2年前に亡くなっていたため、近くに住むYKさんが面倒を見ておられたようだった。お母様も生前「あのときは助かった」と話されていたとのこと。
お話を聞き、3人の方のそれぞれの思いを受け止めることにして、有難く頂戴することにした。KYさん「これでホッとしました」と言われたが、私も年始早々「心温まる贈り物」を頂いたほのぼのとした気分が今なお続いている。
(ニュースレター令和4年GW号より)
新年ご挨拶
ニュースレターより | 2022年1月29日

日の出〜鳴門から淡路島を臨む
明けましておめでとうございます。新しい年を迎え、所員一同今年も心を新たに仕事に取り組みたいと念じています。どうかよろしくお願い申し上げます。
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さて、過ぐる年は、前年に引き続き新型コロナウィルスの全世界への感染拡大による社会・経済・生活への計り知れない被害をもたらした1年でした。そしてその勢いは昨年末にやや沈静化したのも束の間、異種株オミクロンの発生により新年度の第6波が懸念される状況です。
こうした中で、私たちの世界は、地球温暖化による自然災害の頻発や格差拡大と貧困化の増大、独裁権力者の横暴と戦争の恐怖など負の言葉が数多く並びます。それだけに安全・安心の平和な世界の実現に向けて、私たちはそれぞれの立場や能力を生かして力を尽くすべき時だと思います。
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私事にわたりますが、私は昨年6月、日弁連から「法曹在職60年表彰」を受けました。
「人権の擁護と社会正義の実現を使命としてたゆまざる努力を重ねてこられまた司法制度の改善発展のため多大なる貢献をされました」との表彰状にふさわしい活動をしたとはとても言えませんが、60年もの間、少なくとも弁護士の使命を果たそうとの思いを常に自戒しながら行動を続けてきたことは確かでした。残り僅かな余生もこの心掛けを守り、人々のために寄与できればと念じています。
皆様方のご健勝ご自愛をお祈りし、新年のご挨拶といたします。
二〇二二年 元旦 (弁護士 赤沢敬之)
(ニュースレター2022年新年号より)
コロナ爆発と五輪
昨年2月から世界を覆い尽くした新型コロナウィルスの感染拡大は、約1年半を経過した今も留まるところを知らず、世界の感染者が2億人を超え、わが国でも既に100万人を突破し、医療体制の崩壊が現実のものとなっています。東京を中心に発せられた緊急事態宣言の危急時に無理やり開催した無観客の東京五輪が8月8日に幕を閉じ、続くパラリンピックが、現在行われている最中です。
1年延期の後のコロナ拡大の中、政府や東京都は、医療専門家や国民の多数の中止を求める声を無視し、迷走を重ねた結果IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長などの「五輪とコロナは無関係」との「天の声」に従い、「安心安全」の一語を繰り返しつつ、何とか無観客の開催に到りましたが、果たしてこの「五輪」は今後どのように評価されるでしょうか。
私も、この危急下に競技に参加した世界のアスリート達の苦労や実技には多少の興味を覚えましたが、連日のテレビやマスコミの熱狂を煽るメダル獲得競争や開会式・閉会式の報道には、「異次元の世界」の出来事のように漫然と眺めるだけでした。
この2年近くの私たちの日常生活は、コロナとの終わりなき戦いの中で、マスクの着用、3密の回避、不要不急の外出自粛、種々の会合の中止などが習慣化した平板な日々の連続で、人との繋がりが薄れゆく毎日でした。平板な日は進行が加速度的に早く、貴重な時間がどんどん切り取られる思いですが、恐らくはしばらくの間は「コロナとの共存」の日常が新たな生活様式になるのではと予感します。そのためには、「自助第一」から脱却し公的支援策の確立を本位とする政治体制を作ることが必要です。そして、「安全安心」の一つ覚えの繰り返しだけで「感染者の自宅療養」を医療政策とする現政権やこれを支える関係者の責任を問い続ける第一歩が今秋に行われる衆議院議員選挙だと考えます。
イタリア・ルネサンスはペストという大災厄の苦難を乗り越えた末に花開いたといわれますが、我が国もこのコロナの厄災を乗り越え、希望に満ちたルネサンス(再生)を成し遂げることを期待してやみません。
(ニュースレター2021年夏号より)
新年ご挨拶
日々の雑感 , ニュースレターより | 2021年1月18日

東大寺大仏殿
明けましておめでとうございます。新しい年を迎え、所員一同今年も心を新たに仕事に取り組みたいと念じています。どうかよろしくお願い申し上げます。
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さて、過ぐる年は、新型コロナウィルスの全世界への感染拡大による社会・経済・生活への計り知れない被害をもたらした1年でした。そしてその勢いは今なお収束どころか増大の一途を辿っています。今年は、コロナ対人類の対決をどのように決着させるかという重大な年になりそうです。14世紀中頃ヨーロッパで猛威を振るい約2500万人もの死者を出したという黒死病(ペスト)の大流行や、約1世紀前の全世界の死者5000万人というスペイン風邪の蔓延の例を繰り返すことのないよう願い、市民としてなすべきことを果たさねばと思います。
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そして国内では、コロナ騒動の渦中で菅内閣が安倍政権を引き継ぎました。良い仕事をしてくれることを期待したいものですが、その菅政権の最初の仕事が、学術会議の推薦名簿から政府の施策に批判的な6名の学者の任命拒否であったことは驚きと公憤を禁じ得ませんでした。組織改革の必要性に関しては種々議論があるものの、任命拒否の理由について「回答を差し控えます」の繰り返しや論点のすり替えでは、学術会議法違反や「学問の自由」「思想の自由」侵害という民主主義の根幹を蔑ろにするものと言わざるを得ません。「モリ・カケ・桜」問題で権力の私物化を批判された前政権の悪弊をも承継するものであり、法律家の一人として見過ごすことは許されないと痛感しています。
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一方、明るい話題といえば、小職の孫たちも夢中で読んでいるマンガ「鬼滅の刃」ブーム。残念ながら私自身は未読ですが、ノスタルジーあふれる大正時代の鬼退治の話だそうで、マンガも映画も異例の大ヒット、今やコロナ禍で喘ぐ日本経済の救世主とも言われているそうです。一つの事象が社会を動かす好例といえましょうか。
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あれやこれやでこの新年は、試練の年となりそうですが、マスク常用や過密を避け無用の外出自粛などの日常生活の不便に耐えながら、市民の権利を守る職務を誠実に全うしたいと念じています。
二〇二一年 元旦 (弁護士 赤沢敬之)
(ニュースレター2021年新年号より)
新年ご挨拶
日々の雑感 , ニュースレターより | 2020年1月24日

比叡山律院
明けましておめでとうございます。新年を迎え、所員一同今年も心を新たに仕事に取り組みたいと念じています。どうかよろしくお願い申し上げます。
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さて、昨今の世界的な傾向は、社会の分断化と敵対化、貧富の格差の固定と拡大など人々の平穏で安全な暮らしが脅かされる事態が日々進展しています。それだけでなく地球温暖化による環境問題が自然災害を増幅させる一方、核兵器や原子力発電事故の脅威もいつ人類滅亡の危機を呼び起こすのかと憂慮されます。
また、国内においても、国民の代表たるべき政権与党が、権力の集中を笠に着て、税金の私物化にとどまらず、公文書の隠匿、廃棄などの所業を繰り返しつつ、軍事力を明記する「憲法改正」の旗を振るなど、平和主義・民主主義・基本的人権の破壊の危惧さえ感じさせられます。
いまや世界全体が地球規模ひいては宇宙規模の憂慮すべき課題に、人類一丸となって挑戦すべき事態と思わざるを得ません。
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こんなことを考えている時、昨年12月1日に大阪城ホールを埋め尽くした「一万人の第九」をホール・アリーナで聴く機会ができました。私の長男秀行、妻と次女、その長男(小6)に加え千葉在住の長女が遠路合唱に出演したのです。
ベートーヴェン作曲の第九交響曲(1824年作)は、高校生時代からよくレコードで聴いていました。
受験勉強の傍ら愛読していたロマンローランの大河小説「ジャン・クリストフ」のモデルと言われるベートーヴェンの苦闘と栄光の生涯を思い描きつつ、勉強に拍車をかけたことを回想し、佐渡裕氏指揮の熱演に聴き入りました。

一万人の第九本番前の様子(大阪城ホール)
いくつかの前座のプログラムのあと、壮大な音響から始まる煉獄の暗夜行路を示唆する第1楽章から第2・3楽章「天上の音楽」の対峙を経て、いよいよ最終第4楽章「歓喜の歌」の大合唱。
フリードリッヒ・フォン・シラーの詩(1785年作)を元にした「おお友らよ、これらの調べではなく、もっと心地よい、もっと喜びに満ちた調べに声を合わそう」という朗々としたバリトンの独唱に始まります。
そしてこの第一声により、これまでの音楽に別れを告げ、新たな音楽、ベートーヴェンが求め続けていた理想の世界を歌う1万人の大音声が場内に響き渡ります。
「すべての人は兄弟になる」
「抱き合え、幾百万の民よ」
「この口づけを全世界へ」
「星空の彼方に愛しい父が住まう」
と理想の楽園に誘う調べに、一万人の合唱団に合わせ、客席の4千人の聴衆も一体となって「歓び」の世界を謳歌します。
私も、フィナーレまでの演奏中、時のたつのも忘れ合唱に唱和し、感動を抑えることができませんでした。
これまで度々聞いた「第九」とは違った次元で冒頭に記した現在の世界・国内の状況を思い浮かべつつ、今こそこの閉塞状況の改善にこのベートーヴェンの精神を生かしたとの思いに駆られたものでした。
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以上新春を迎えての雑感です。(弁護士 赤沢敬之)
(ニュースレター2020年新年号より)