弁碁士の呟き

私と囲碁(44) 三木正さんとの20年(下)

| 2015年10月25日

 三木さんとの対局は、平成7 (1995) 年9月に始まり、毎月1局、私の事務所で、午後6時頃から食事休憩をはさみ9時頃までというのが通例で、これが平成25(2013)年12月までたゆみなく続いた。この間、三木さんの骨折事故や奥様のご不幸、私の胃がん手術などでのブランクもあったが、ほぼ毎月月末の定例対局の楽しみが私の仕事の励みともなっていた。ところが、平成26年に入って程なく、三木さんの自宅庭での転倒による腰骨骨折という不慮の事故のため、永らく続いたこの対局も継続できなくなり、その後はお見舞い旁々の訪問の際やたまたまの事務所への来所の機会での数局の対局が数えられるのみとなったのが残念である。これまでの対局数は174局。

 第1局の開始当時、三木さんは75歳で私が59歳。同氏の強さは「爛柯」の仲間などからも聞いており、7段格の大先輩なので、私の定先の手合いと思っていたのだが、とりあえず互先で打とうということになり、私の黒番で打ったところ、たまたま私が幸いしたことから、以後互先の対局となった。しかし、それからがいけない。三木さんが本気を出され、その後2年間ほどは10局に1度ほどしか勝たせてもらえない。強力な攻めと終盤での強引ともいうべき取りかけにいつも屈服させられる展開となる。ようやく10年ほど経ち100局を数える頃になった平成17(2005)年頃にやっと累計の勝率が2割程度に上昇。そしてその後9年間の70数局の勝率はようやく4割を越えたが、累計では3割程度となっている。これらの対局の棋譜は、前半の9年ほどは対局中に三木さんが碁罫紙に記録されたが、後半に入りしばらくは私がパソコンに入力していた。

new_2006_0727_202443AA 対局の日、三木さんはまず関西棋院に顔を出し、知り合いの棋士に私との打ち碁の講評を願い、夕刻私の事務所に来られるのが常であった。そのうち10年程前の何時の頃であったか、高津高校時代の友人向山裕三郎さん(元会社社長、当時初段前)が毎回観戦に来て、棋譜採り役を受け持つようになった。さらに2年後、三木さんから聞かれたのか石井新蔵9段が関西棋院の帰りに事務所に寄られるようになり、対局途中に向山さんからパソコン入力を引き継がれることになった。そして終局後の講評。なんとも有難い指導である。おかげで向山さんも棋力とみに上昇し今は3段格。それに加え、囲碁の面白みや奥深さを実感したと述懐されている。

 対局途中の夕食休憩で、取り寄せの「うな重」に舌鼓を打ちながら、石井先生のプロ碁界の話題や三木さんの昔話に耳を傾ける楽しいひとときもあった。事務所の浦島三郎弁護士(初段格)や高津囲碁会の世話役故岩崎佳枝さん、同会常連の故藤田貞吉君(3段格)もたまに顔を出し歓談に加わっていた。

 三木さんは、理非曲直をわきまえ古武士の面影を宿す剛直の人である。90年を超える波乱の人生経験に教えられることが多かった。棋風も同様に剛直な力戦派でありながら、筋や形を重んじる手厚さは、百戦錬磨の棋歴と「月刊碁学」の編集者としての永年の蓄積なのであろう。これまでのお付き合いに感謝するとともに、今なお衰えぬ棋力にこれからも触れる機会を作りたいと願っている。(続)

 

赤沢敬之

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