弁碁士の呟き

囲碁雑録(6)-1986年『ハンさんの「宇宙流」』③

| 2017年6月2日

(②より続く)

ハンさんの返り討ち

 握って先番のハンさん、1、3、5と早速三連星の布陣を敷き、6手目に小目にかかったこちらの白石を一間にハサむ。
白8で3三に入ると黒スミを押さえ、以下型どおりの定石で白を左下に閉じ込めて、足早に15と上辺星に打ち大模様を指向する。
白続いて右上星から訪と大ゲイマにシマルと黒天元に打ち、四角の大風呂敷を広げサアお入りと誘う。
これぞ今をはやりの「武宮宇宙流」である。
テキも流石に日本碁界の潮流の研究におさおさ怠りない様子だ。

 布石は黒一歩のリードか。
ここで白18とハネ出したのがやや性急で、黒の中央を強化するお手伝いのキライがあった。
あとで考えると、18では黒の誘いに乗ってAに敵中深く単騎カカり、黒模様を早めに荒らすべきであった。
黒29とカンヌキを下ろされると黒陣は厚く、容易には入れそうにない。
やむなく白36あたりから手をつけて40から52まで黒の包囲網に風穴を開けた。
これは白成功だったが、原因は黒39にあった。
黒がこの手で23の一路上に引いていれば、こうはならなかったのである。

 しかし、チャンス到来と喜んでしまったのが小生の悪い癖である。
黒55に守ったとき、ここでBあたりに一手模様見の斥候を黒陣に放ちこれを囮にしておけば、間違いなくナダレこみが成功したはずであった。
しかし、やんぬるかな。
小生慌てて56と中途半端な手で侵入を図ろうとして、64までやや腰が伸び形がウスくなってしまったのである。
これを見逃すハンさんではない。
69から逆襲のキリ一発で自陣への侵入を最小限に止め、白の大模様が出来上がろうとする寸前を捉えて、スミの3三に入り、返す刀で白の中央の地を喰い破ってきた(残念ながら87手以下記憶が薄れ正確な棋譜を再現できない)。

 ここから接近戦の激闘が始まったが、ついに黒の有利なコウ争いに入り、最後の勝負どころを迎えてしまったのである。
悲しいことにこちらはコウ材が少ない。
熱戦数合コウ争いは黒の勝ち。と同時に碁は終わってしまったようである。
黒の確定地は60目を下らない。
コミを加えても白には50数目位しか見込めない。
終盤には黒の厚みがなお働きを増すことになると予想され、その差は益々開くだろう。
やむなく小生玉砕戦術に出るほかなく、起死回生の勝負手を放つが、冷静に受けられて遂に投了。
残念ながら三年前の敵討ちはならず。
しかし、熱戦のあとの高揚した気分は爽快であった。
局後の検討には、オランダのシュレンパー六段に惜敗した畑さんも加わり、なごやかにお互いの好手や悪手を指摘し合い、握手を交わして次の対局に移ったのであった。
やはりアジアの強豪ぞろいの国の代表には劣るとはいえ、ハンさんの力は立派なもので、「士は三日会わずんば、即ち刮目して待つべし」と「三国志」で呉の旧阿蒙が語ったとおり、三年間の進歩は流石のものであった。
返り討ちには会ったものの不思議に充足感が私の身内にたちこめていた。

 第一回戦は、世界アマ側の22勝10敗、第二回戦は日本側の選手交代で行われたが、これも先方の23勝11敗という圧倒的勝利で親善対局の幕が降りたのであった。
服部さんも確かイギリス選手に歓迎の白星を進呈したようだった。
会場では、大竹英雄碁聖や石井邦生九段などが中国・香港選手や青い目の棋士たちに打ち碁の検討と遠慮ない厳しい批評や手直しをし、外国選手はまたとない機会と懸命に指導を受けていた。
言葉は違っても互いに有無相通ずるところは、碁を共通の友とする者たちの親善溢れる風景である。

(④につづく)

赤沢敬之

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