弁碁士の呟き

私と囲碁(10) 旧大阪弁護士会館「娯楽室」の風景

| 2014年8月28日

私が弁護士登録をした昭和36年頃、大阪の会員はほぼ800名程であった。現在は約4000名を超える大所帯になり、特に世代間の差が大きいと顔や名前も知らない人が殆どとなる。弁護士の仕事は、あくまで依頼者の立場に立ち、その正当な権利や利益を守ることにあるのだから、相手方弁護士がどのような人であるかは関係がないことではあるが、やはり面識があり人柄や特徴、実績や見識を知っている方が真相解明や早期の妥当な解決を導くことに役立つことが多い。

昔の弁護士会館は石造りの3階建てで、おぼろげな記憶であるが、2階の一隅にあった娯楽室は4坪位であったろうか、そこには常連の先輩たちでほぼ満員。そこに臆面もなく新入りが出入りして教えを仰ぐのも許される自由にしてにぎやかな雰囲気であった。和島岩吉、前田常好、井上吾郎、宮浦要先生など今は亡き長老や井土福男、島田信治、佐々木敬勝先生などの修習初期の4,5段の打ち手はほぼ毎日のように顔を出され、また当時最強を謳われた吉川大二郎、三宅一夫6段も時々は顔を出されていた。

碁打ちのマナーをうるさく教えるのが宮浦師範。碁石を片手に碁盤の横を叩く癖のN3段、そばで口を出す某先生などに厳しく注意をし、周りを笑わせる。そんな楽しい雰囲気だったので、新米の私もこれらの先輩に碁の教えを受けるだけでなく、それぞれの人となりに接し親しく可愛がっていただいた。これが私の弁護士としての生き方に多大の深みや広がりを植え付けててもらったことに感謝している。

こうした老若相集いにぎやかに烏鷺を戦わす風景は、昭和44年1月新築の旧弁護士会館の時代にも受け継がれてきたが、平成20年7月新築の豪華な現会館13階の囲碁コーナーには今やその面影も残っていないのは残念な思いであり、なんとかその再現の日をと儚い夢を見る今日このごろである。(続)

赤沢敬之

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