弁碁士の呟き

私と囲碁(1) 時代と境遇

| 2014年6月2日

私が碁盤なるものを初めて目にしたのは、昭和24年春、中学2年生の頃であった。徳島の田舎町から大阪の学校に転校して、天王寺区の焼け跡に父が戦後建てたバラック家屋に移ってきたときであった。

明治生まれの父は農家の三男で、外地で一旗揚げるべく昭和13年頃から単身上海に渡って自動車修理工場を始めていたが、仕事も順調にいっていたようで、昭和16年10月「大東亜戦争」開始直前に、家族一同を現地に呼び寄せていた。当時私は、「国民学校」入学前。やがて真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争に突入したのだが、そのあたりの話についてはまた折に触れて書き留めていきたい。

ともあれ、それから3年後、祖国が敗色濃厚との情報が現地に届き外地での敗戦を避けさせたいとの父の判断で、敗戦の前年秋に家族は父を残して海路門司港に帰国し、徳島の父の実家に身を寄せることとなった。

父が帰国したのは戦後2年を経てからだったが、大阪で再出発した自動車修理業がなんとか軌道に乗り始めたこともあって、私も中学2年で大阪に移ってきたのであった。こんな時代と境遇であった。(続)

赤沢敬之

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