私と囲碁 | 2025年1月20日新着
昨年秋、市谷の日本棋院で開催された第42回法曹囲碁大会に大阪弁護士会チームの一員として上京した。
同大会は、毎年11月23日に裁判所、検察庁、公証人と全国の弁護士会が一堂に会して団体戦ABCと個人戦を競う貴重な場である。第1回は昭和55年(1980)に東京を中心に開催され、大阪弁護士会チームは第3回から参加している。偶々私は第1回の個人戦に参加して以来、8回大会を除き全回出場してきた。
コロナ禍による3年間の休会の後の昨年の第41回大会は、これまでの参加者が200名位だったのが半減して驚かされたが、今回も更に減少し60名程であった。大阪チームも嘗ては15~20名程が大挙して上京していたが、これも再開後は減少し今回はABリーグ6名、個人戦1名に留まった。
大会の審判長は青葉かおり5段。審判が大西研也6段、長島梢恵3段で、判定の傍ら指導碁を打たれる。
11月22日に新幹線で東京に向かい、長女の長男(22)の案内で模様の変化した東京駅地下街を通り新路線に乗車して松戸市の住居に着き、家族4人と歓談の夜を過ごしたのも久しぶりだった。そして翌朝、囲碁3級程度の孫とともに会場に向かう。
そして、23日午前11時、元最高裁判事の堀籠会長の開会挨拶、青葉審判長の挨拶、審判員紹介のあと、団体戦・個人戦の対戦開始、大阪Aチームのメンバーは私・原田次郎・竹内隆夫さん、Bチームは吉岡稔浩・谷池洋・佐井利信さん、個人戦に岡本岳さん。持ち時間は45分で時間切れ負けとなる。
さて、最初に当たったのは東京弁護士会(東弁)③。私の相手は水津正臣さんで白番中押勝ち。この対局を孫が熱心に観戦し、私のやや強引な攻めが功を奏したことに感動した様子だった。2回戦は、東弁②の伊礼勇吉さん。大会副会長で、昔からの顔なじみであり対局の経験もある。この碁も私の大模様作戦が図に当たり、分断した白20子を5目ナカデで殺して中押勝ち。竹内さんの2連勝と合わせ団体戦2連勝である。
いよいよ3回戦。登場したのは最強チーム東弁①。対戦相手はまだ30代と思しき青年由岐洋輔さん。昨年もそうだったが、この年配は大学囲碁部かプロ修行の院生上りが多く、老齢の身にはとても勝てそうもない。握って黒番が当たり、同様の中央重視の作戦を進め、中盤までほぼうまく打てたようで、相手の時間がどんどん減って行く。打ち行くほどに相手の手合い時計の針が落ちかかる寸前となる。当方はまだ5分ほど残っている。
終盤近く盤面10目以上のリードでこれは勝ったかと思ったのが運の尽き。相手は寸秒を置かずに石と時計を押すのに対し、こちらは時計の打ち忘れが重なり慌てて石を置くため地合いがどんどん減り、遂に盤面ジゴの負けになってしまった。こうして念願の団体優勝の夢は破れたのであった。なお個人戦に出場した岡本さんは予想通り3勝し優勝。
大会終了後、近くの私学会館で行われる東弁チームの懇親会に岡本さんと参加した。私の隣に大西6段と由岐さんが座り親しそうに話しをしている。その中で女流プロの上位で活躍中の牛栄子4段の話題が耳に入ったので聞いてみると、なんと3人は少年少女時代にアマの指導塾での同門だったこと、由岐さんは中学時代に全国少年少女大会で4位入賞経験があることだった。栄子さんは、昔呉清源師らとともに長江の三峡下りに参加した際に同師の秘書役としてお世話になった牛牛力さん(中国5段)のお子様で、関西での初対局の際同行されたお母様と一緒に私の事務所に来られたことがあり、私も応援していると話した。こんな話で盛り上がり、碁縁の不思議さと魅力を互いに満喫したのであった。午後7時過ぎに懇親会を途中で失礼し、新幹線で帰宅した。
思えば45年の歳月を経て、なつかしい碁仇の多くがこの世を去りこの大会で私はどうやら最年長となったようだが、新しい出会いもありあと何回かは上京したいと思うこの頃である。
(ニュースレター令和7年新年号より)