弁碁士の呟き

アーカイブ:2024年

私と囲碁(71)9路の碁の魅力

| 2024年7月19日新着

 2年ほど前、スマホをいじっていたら中国ルールの「囲碁クエスト」というアプリがあり、ダウンロードして試してみたところ、簡単に空き時間を楽しむことができるので、タブレットで「yosibee」のハンドル名で登録してみた。

 対局は19路・13路・9路があり、夫々持ち時間が設定されているが、時間の余裕がないため9路の碁を選択した。付与される。レーティング(持ち点)が最初は600で対戦相手のレーティング加減される。コミは7目により。1局約7分程度で終了する。

 参加者は世界のプロアマやAIなど3万3千人を上回る。レーティング2000が赤で100名程、1700が黄色で約5000名程、1500が青で9600名程、以下緑・グレーと続く。

 まずは始めた対局で、当初は対戦相手の持ち点が低いので連勝が続き、レーティングも順調に上がってグレーから青になるが、黄まで登るとなかなか赤には登れない。勝ってば大きく上がり、負けても減点が少ない。逆に相手が低くても勝っても1、2点しか稼げず負ければ10点取られることもある。

 私の場合、当初は勢いに乗って最高2038点の赤になったが、今後強い相手が出てきて今1920年から1950年の頃を考えている。これまでに約1万8200局で勝率は5割4分4厘、順位は3万3700人中1630位である。

 9路盤の魅力は、短時間で決着するので手軽にプレーでき、多くの試合経験を踏まえることにより初心者にとって都合の良い上達が期待できるところにある。た空間で大きな勝負が繰り広げられるため、1手1手の着眼点が重要となり、相手の意図を抜きにして1手が求められる。高段者になるとなるほど深い駆け引きや戦略が必要となる。 19路盤と異なる定石もあり、直観力の養成には持ってこいのゲームである。

 そんなことで、休日の前夜に対局して負けが続き、なんとかレーティングを元に戻したいと焦りながら朝明けの空を見つめたことも度々ある。

「情けなや クエに食われて 夜もすがら」

のあと、遠路の地の娘から

「お父さん、もっと早く寝て下さい」

とメールで注意され、老体故自戒することの多いこの頃である。 (2023.12.5)

赤沢敬之

私と囲碁(70)山本碁会と白石裕9段

| 2024年7月5日新着

 山本良一さんは私の師匠山本治雄弁護士の兄で、大規模な農園を営む傍ら茨木市の市会議員を務められた方であるが、平成23年(2011)末頃、ご子息の作治郎さんから、月1回日曜日に山本家別宅で碁会を開き白石裕9段の指導を受けているとのお誘いを受け喜んで参加することとした。

 白石9段は、名人戦と本因坊戦のリーグに各3回在籍、関西棋院第1位、第1回棋聖戦9段戦で優勝の実績を残したトップ棋士であり、門下生に森野節男、山崎吉廣各9段などがおられる。白石京子4段はお子様である。

石井9段の3面打ち

 早速平成24年(2012)1月15日に山本さん宅に伺ったところ、茨木市や吹田市の市役所関係の7段から4段の打ち手が10人ほどおられ、白石9段から3面打ちの指導を受けていた。私は以前10年前に一度同9段に3子の指導碁を受けたことがあったが、今回は2子局でお願いし、大石を取られ投了した。翌2月の対局は何とか勝利を得たが、その翌日同9段は71歳の誕生日の前日に引退されたのだった。

 その後も毎月のように指導を受け、平成26年(2014)7月までに18局の棋譜が残されている。結果は7勝11敗だったが、3面打ちであったこと、無理をせず難解な局面を避けられた節もあり、善戦できたことで私に自信らしいものを与えてくれたのではと感謝している。

 山本囲碁会では、殆どの対局は指導碁だったが、一度高槻の二料山荘で合宿した際には、7段格と6段3人・4段2人と6局も打ち、打ち分けだった。

 白石9段が棋士引退の後、平成24年(2012)7月1日に、先生の功績を讃え慰労する引退記念会が爛柯囲碁俱楽部で開催され、大勢のプロアマが参加して盤を囲んだ。私はプロ8段の方の2面打ち指導碁を受けたが、白の大石を召し取る望外の結果であった。

 先生は平成29年(2017)12月10日に76歳で逝去され、山本囲碁会も幕を閉じた。 (2023.12.2)

赤沢敬之

私と囲碁(69)石竹会と石松竹雄さん

| 2024年6月21日

石松さん(左手前)

 石松竹雄さんは修習2期の刑事裁判官で、裁判官の独立、裁判官の職権の独立を重んじ、昭和46年(1971)3月の宮本康昭裁判官の再任拒否に始まる「司法の危機」の時代に設立された司法の官僚制を批判する「全国裁判官懇話会」の世話人を務められた方で、「気骨―ある刑事裁判官の足跡」という回顧録を残されている。刑事裁判の審理における被告人の権利を大事にする進め方を実践され、多くの若手裁判官から慕われた。

 同氏の名を冠した「石竹会」(毎年1月第1土曜日開催)の発足がいつだったのかは不明だが、私が初めて参加したのは平成16年(2004)1月だった。世話人の森野俊彦弁護士(元裁判官)かあるいは弁護士任官した西垣昭利さんだったかの誘いで喜んで会場の大阪市中央区の以和貴荘に向かった。参加者は12、3名の現元裁判官や弁護士など石松先生を慕う門下生や司法修習の教え子などで、棋力も3段から6段の打ち手揃いで、四国など遠くからの参加者もあった。

 この日、私は7段格で4勝1敗で終え、続く翌17年(2005)にかけて7連勝したが、その後平成16年(2006)から同18年(2008)の3年簡に9連敗、以後同19年(2009)から同(2017)までの間には13連勝という極端な記録が残っている。通算22勝10敗であった。

 石松さんとの対局は5回で向こう3子4勝、4子1敗だった。このうち平成25年1月の3子局で白中押し勝ちの棋譜が残されているが、石松さんの棋風は穏やかなものだった。

 石松さんは、平成30年(2018)9月に93歳の長寿を全うし逝去され、毎年正月の石竹会も幕を閉じた。そして翌31年(2019)1月の「偲ぶ会」には、裁判所関係、弁護士その他大勢の人が集まり、同氏の多大な業績を称えそのお人柄を偲んだ。 (2023.11.29)

赤沢敬之

私と囲碁(68)大阪弁護士囲碁同好会

| 2024年6月7日

 平成18年(2006)1月、井土福男(2期)、島田信治(6期)弁護士を代表として、私も含め9名の囲碁愛好者が呼びかけ人となり、「大阪弁護士囲碁同好会」の設立と入会の呼びかけをした。
 当時、会館の娯楽室への出入りや弁護士会大会、法曹囲碁大会などへの参加人数の減少が顕著となったため、その打開を図る目的であった。
 入会金や会費なしで毎月「5の日」の3時から6時に弁護士会館で自由対局を行い、当日の当番幹事が対戦記録を付けることとした。対局は持ち点表(レーティング)によった。

 こうして発足した会には、100名を超える入会登録者を迎え、名誉会長上記2氏、会長鬼追昭夫(12期)、副会長私(13期)と畑良武(15期)氏、常任幹事に竹内隆夫(29期)、原田次郎(38期)、岡本岳(47期)が世話役を務めた。
 当番幹事は10数名が交代で当たった。「5の日」には毎回有段者から級位者が7、8名程度参加し懇親を深めた。

青葉かおり4段(当時)の4面打ち

 同好会の目玉は、石井邦生、石井新蔵9段の指導碁と懇親会で、平成23年(2010)から同26年にかけて両9段各3回行い、10名ないし6名が指導を受けた。また、東京での法曹大会でお世話になった青葉かおり4段(現5段)の来阪の機会に、平成20年(2008)、25年(2013)、30年(2018)の3回の指導碁会を開催した。

 私が会長の役を仰せつかったのは、先輩たちの逝去や引退による平成23年(2011)の頃だったろうか。その後10余年を経て、コロナ禍による会館使用停止や衣替えにより「5の日」は休止したまま今に至っている。 (2023.11.26)

赤沢敬之

私と囲碁(67)関西東大会囲碁同好会

| 2024年5月24日

 関西東大会に囲碁会があるのを知ったのは確か昭和60年代(1980年代)のことで、北浜の大林ビルで毎月1回開催されており、5段当時に時々参加したことがあるが、当時の記録が残っていないためどのような対局をしたのか記憶にない。

古家正大4段の3面打ち

 その後、備後町の綿業会館ビルに会場が移ってから、平成22年(2010)4月に久しぶりに参加し、古家正大4段に2子局での指導を受けた。以来令和2年(2020)1月にコロナ禍のため休会となるまで、年4回の例会にほぼ毎回参加した。

 この会の世話役は大阪大学教授の井元秀剛氏で、手合いは点数表により決定される。メンバーは30名程で、関西棋院元理事長小松健男氏や大阪ガスの松本正博氏、「囲碁ワールド」の段位認定コーナー段位コースで常に満点やこれに近い高得点を記録している入子輝夫氏や芦田雄太郎氏などの強豪ぞろいを相手に、私は23勝20敗で持ち点180の前後をうろうろしていた。

 そして、この会で特に勉強になったのは古家正大4段(現5段)の2面打ちの指導碁で、2子15局と先番3局で5勝5敗8打ち掛けだった。

 碁会の後の大阪ガス会館食堂での懇親会がまた楽しく、それぞれに母校の思い出などを語り合うひとときとなった。そろそろコロナ禍による休会明けも近いのではと期待するこの頃である。 (2023.11.23)

赤沢敬之

私と囲碁(66)王座研究会

| 2024年5月10日

王座研究会の仲間たち

 平成12年(2000)2月、日経新聞社主催でアマ各界対抗囲碁大会がホテルニュー大谷で開催され、大阪弁護士会から当時最強のメンバー6名を集めて参加した。しかし結果は思うようには行かず、これが2年続いた。これではならじと参加者協議し、定期的に対局し棋力を高める研究会を作ることに決め、毎月第1土曜日に爛柯囲碁俱楽部で例会を開くこととなった。世話役の幹事は原田次郎君が現在まで務めてくれ、私が対局結果と毎回の対局表と統計を作っている。

 第1回は平成12年(2000)3月、故今富滋、故中森宏、上田耕三、竹内隆夫、故西垣剛、佐野喜洋、原田次郎、私の8名でオール互先の対局が始まった。その後、平成14年(2002)に岡本岳、田中清和、辺見陽一、故金子光一、榊原正峰君らが参加。そして平成20年(2008)頃には山本忠雄、故片岡勝、谷池洋、佐井利信、大塚清明、西垣昭利、小野健二、山本彼一郎君らが加わり、最近参加の牟田口卓也、尾近正幸、山本渉君も含め、現勢16名となっている。平成20年(2008)頃からは、段に応じて2・3子局も採用している。

 毎月1回の例会は、その後一時爛柯囲碁俱楽部からライフ囲碁倶楽部に会場を移したが、平成22年(2010)以来は元に戻り、コロナ禍の3年も休会することなく続き、現在283回となった。この間の対局数の最高は原田次郎君で1066局、次は私で850局、勝数も原田君673、私581。勝率は岡本岳君が群を抜き7割4分、私が6割8分4厘、原田君6割3分1厘となっている。

 コロナ禍の影響で最近は出席者が少なくなっているが、この研究会と高津囲碁会は、現在私が参加している貴重な碁会であり、これからも長く続いてほしいと願っている。

 なお、この機会に大阪弁護士会囲碁大会の近況を報告しておきたい。

 先に「私と囲碁(26)弁護士会大会その後④―新鋭の時代へ」で岡本岳君(47期)の登場と破竹の進撃を紹介したが、あれから9年を経て更に新たな世代の新鋭棋士の登場となったのは自然の成り行きであろう。平成30年(2018)度の第41回大会に初参加したのは70期の大和義章君、東大囲碁部の出身でヨミの深さと正確性に優れ勝負強い。初参加以来現在まで大会5連覇の騎虎の勢いが止まらない。AIを駆使しての研究も怠らず、前世代代表の岡本君、原田次郎君もなんとか一矢を報いたいと頑張っている。

 若手参加者の減少がわが弁護士会囲碁界の課題であり、この面でも大和君の活躍が望まれるところである。 (2023.12.27)

赤沢敬之

私と囲碁(65)行友会と結城聡9段

| 2024年4月26日

 早碁の神様、NHK杯5回優勝の結城聡9段との最初の出会いは、先述の天満倶楽部での「秀行塾開講記念プロアマ戦」の昭和62年(1987)5月であった。当時15歳で4段の結城さんとの白番での対局し手もなく粉砕されたことは以前述べたとおりである。

 平成22年(2010)5月、美香さんの代役で行友会例会の「清友」に見えた結城さんは、NHK杯を2連覇(武宮正樹、井山裕太9段を破る)していたが、気さくに2面打ちの指導碁をして頂いた。

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 私も9子局の某氏と並んで2子局で対局。序盤から慎重に石を運び、50手ころには左辺中央に大模様を築く形勢となり、白85に侵入した白石を捕獲できるかどうかの攻防となったが、白何かの見落としだったのか110手で白投了。まさに望外の勝利である。

 数日後美香さんに報告すると、「結城君、普通に打って普通に負けたと言っていた」とのことで、2度の驚きと信じられない思いであった。この棋譜は私の記念譜として聶衛平9段との棋譜とともに棺桶に入れて欲しいと思う。

 なお、結城さんとは、その後も行友会で令和元年(2019)12月に打ってもらったが、その時は地合い大差で投了した。

行友会・結城聡9段を囲んで

 結城さんは大のオリックスファンである。開幕試合の始球式に登場されたのも記憶に新しい。平成29年6月に大阪ドームでのセパ交流戦でのオリックス対中日戦を逢坂さんや2児を連れた結城さんらと観戦したことがあるが、その試合残念ながら中日が4-0で勝利し、結城さんらさぞガッカリされたことだろう。

 今もなおトップ棋士として活躍中の結城9段の益々の健闘を祈りたい。 (2023.11.15) 

赤沢敬之

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