私と囲碁 | 2015年2月25日
その後平成6年秋以降、「藤沢秀行全集」12巻が順次日本棋院から発行された。この頃は「呉清源全集」もほぼ終わりに近づいたので、今度はこの全集に挑戦することとした。厚み重視の「豪放華麗な棋風」、「異常感覚」、「最後の無頼派の勝負師」とうたわれた半面、早くから度々訪中して中国の若手を鍛え、また「秀行塾」で多くの有望棋士を育成した棋聖6連覇の藤沢名誉棋聖の棋譜により、私に欠けていた「厚み」の感覚を少しでも吸収できればと願ったのだった。
秀行先生の碁は、高川本因坊や坂田本因坊との挑戦手合いなど多くの棋譜をそれぞれの「全集」で並べたが、今度は逆の立場から並べるのも面白いと考え、平成6年12月から19年5月まで13年をかけてこの「マラソン」を終えた。多くの棋譜の中で印象深く勉強になったのは、棋聖6連覇中の棋譜であり、中でも加藤正夫9段との激闘譜はまさに死闘ともいうべき名局であった。私の棋風もこの間、厚み重視の「中央の碁」に変化しつつあったように思われる。
なお、余談であるが、昭和42年出生の私の長男の命名のとき、「秀之」と「秀行」のどちらにするか迷ったが、結局後者を選んだのは「秀行先生」の影響が多分にあったのかと今にして回想する。しかし、長男はいまだ囲碁は初級者の域を出ず、親父を嘆かせている昨今である。(続)