法律よもやま話

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(その5)ジャネーの法則

2019年9月20日

夏の北海道、能取岬(筆者撮影)

 

 令和最初の夏も終わろうとしていますが、皆様にとって、今年の夏はいかがでしたでしょうか。 

 夏は、大人よりも、子どもにとって楽しみな季節であることは間違いないでしょう。それは長い夏休みがあるからです。自分の子ども時代をふりかえっても、朝のラジオ体操に始まって、近くの川での水泳、セミ取り、子供会の旅行、盆踊り、ソフトボール大会など、楽しいことがてんこ盛りで、夢のような期間でした。

 しかし、あらためて振り返ってみると、子どもの頃の夏休みの期間はひと月半にも満たないくらいでしたが、これは、我々弁護士にとっては、だいたい1つの事件の裁判期日から次の裁判期日までの期間に相当します。しかし、次回の裁判までのひと月余りの期間は、提出書面の準備等に追われてあっという間に過ぎ、それと子どもの頃の夏休みの期間がほぼ同じであるとはどうしても思えません。

 それに限らず、歳をとればとるほど月日が経つのが早く感じるのは多くの方の共通の感覚でしょう。そのことが家族の間で話題になった時に、当時中学生だった娘が、それには理由があると学校で教わったというのです。その理由とは、人が感じる時間の長さは年齢に反比例し、10年しか生きていない子供にとっての1日は50年生きた大人にとっての5日に相当するというものです。そのことを教えてくれたのは理科の教師ということでしたので、それなら間違いないだろうと、すごく納得しました。

 今回、この稿を書くにあたって、念のため、インターネットで調べてみたところ、その理論を最初に提唱したのは、実は科学者ではなく、19世紀フランスの哲学者であるポール・ジャネという人で、その故に、その理論は「ジャネーの法則」と呼ばれていることが分かりました。

 さて、以上は時間の長さについての感じ方の話でしたが、我々弁護士の受任事件に対する感覚にもこれと似たようなことが当てはまるように思います。つまり、多くの事件を経験すればするほど、新たに受任する事件に対する新鮮な感覚は薄れていくということです。それは慣れということでもあり、弁護士がベテランになっていく過程では必要な面もあります。しかし、多くの人にとっては、弁護士に依頼するというようなことは、一生の間に一度あるかないかの重大事であり、場合によっては、その人のその後の人生を左右しかねません。我々弁護士は、常にそのことを念頭において、日々新たな事件に取り組まなければなりません。

 9月を迎えるとは言え、まだまだ暑い日が続きますので、皆様、くれぐれもご自愛いただき、実りの秋をお迎えください。

(ニュースレター令和元年夏号より)

井奥圭介

(その4)相続法改正①「配偶者の居住の権利の保護」

2019年8月29日

  私たちの家族の関係から、人と人との取引、さらには事故を起こした時の賠償まで、生活のあらゆる関係を規律する基本となっているのは民法という法律です。

  実はこの民法、制定されたのは日露戦争より前の明治31年でした。そんな古い法律がAI革命が叫ばれている現在まで通用しているというのはちょっと驚きですが、案外、人と人との関係の基本は明治時代から変わっていないということかも知れません。

  とは言っても、そこはやはり、時代の変遷にともない、そのまま適用したのでは不都合な部分は出てきますので、何度か、マイナーチェンジを繰り返しながら今に至っています。

  中でも、第五編の相続法に関しては、昭和55年に比較的大きな改正がされましたが、それから40年近くが経ち、平成30年7月の国会でいくつかの重要な改正がされました。

今回の改正のポイントは以下の3点です。

①配偶者の居住の権利の保護
②遺言の利用の促進
③相続人を含む利害関係人の実質的公平

  ということで、今回は、とりあえず、①の配偶者の居住の権利の保護についての説明です。
  新たに2つの権利が創設されました。配偶者居住権(第1028条~)と配偶者短期居住権(第1037条~)です。

   配偶者居住権とは、亡くなった人の配偶者が遺産である建物に居住していた場合に、そのままその建物に無償で居住できる権利のことです。

法務省パンフレットより

  改正前の民法では、配偶者が遺産の建物に引き続いて居住するには、遺産分割により自らその建物の所有権を取得するか、その建物を取得した別の相続人(例えば、子など)との間で新たに賃貸借契約を結ぶことなどが必要でしたが、そのような負担を負わせずに、配偶者の居住の権利を保護しようとしたものです。

 配偶者居住権の評価は所有権よりも低いので、配偶者居住権を取得した配偶者は、建物の所有権を取得した場合に比べて、相続分の範囲内でさらに他の遺産を取得できる可能性が高まることになります。

  この配偶者居住権は、相続人間の遺産分割か亡くなった人の遺贈又は死因贈与によって発生します。そして、この配偶者居住権は、配偶者だけに認められるもので、譲渡することはできず、また、配偶者が死亡した場合は当然に消滅します。

  これに対して、配偶者短期居住権とは、亡くなった人の配偶者が遺産である建物に居住していた場合に、遺産分割によりその建物の帰属が確定した日又は相続開始の時から6か月を経過する日のいずれか遅い日までの間、その建物に無償で居住できる権利のことです。これは、遺産分割が確定するまでは配偶者がそのままその建物に無償で居住できるようにするとともに、最終的に配偶者が居住建物について引き続き居住する権利を取得せずしたがってその建物から退去しなければならなくなる場合でも、転居するために必要な猶予期間として少なくとも相続開始時から6か月の期間を確保しようとしたものです。

  さらに、夫婦間で、生前に、住んでいる家を贈与した場合、これまでは、その贈与は遺産を先渡ししたもの(特別受益)として、遺産分割の際における取り分を計算することにされていました。それが、改正民法では、結婚期間20年以上の夫婦間で居住用不動産の贈与がなされた場合、その贈与は、特別受益として取り分の計算には入れないことにされています(第903条4項)。これにより、配偶者はさらに多くの住居以外の遺産を取得できることになります。

  以上の改正のうち、居住用財産の特別受益からの除外は2019年7月1日から既に施行されており、配偶者居住権と配偶者短期居住権とは2020年4月1日から施行される予定です。

井奥圭介

(その3)巻頭言

2019年1月28日

興福寺五重塔

 

 新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 さて、お正月なので、少し構えたお話をすることをお許しください。法学の一つの分野に法哲学というのがあります。これは、「法とは何ぞや」というテーマを追究することを目的とした学問で、古来、何人もの学者がこの問いに答えてきました。18世紀フランスの法律家モンテスキューによれば、法とは「事物の本性に由来する必然的関係」であり、20世紀ドイツの法学者ラートブルッフによれば、法の理念は「正義」です。そして、これがマルクスになると、「支配階級が被支配階級を強圧的に支配するための手段」が法ということになります。

 私も、日々、法に関わる仕事をしている身ですが、あらためて「法とは何ぞや」と聞かれると、なかなか一言で言うのは難しい。そこを押して言えば、法とは「皆を幸せにするもの」ということになるでしょうか。それは、法とはそういうものであって欲しいという私の願望でもあります。

 と言っても、お金を儲けることが幸せだと思っている人に、法がお金を儲けてくれるわけではなく、また、病気が治れば幸せだと思っている人に、法が病気を治してくれるわけでもありません。法に出来ることは、万人にその機会を平等に与えようとすることだけです。そのために、例えば、一部の人が商品の価格を不当につり上げてぼろ儲けをしておれば、独占禁止法という法律で、それを除外して誰にでも儲けるチャンスを与えようとし、また、病気になって困っている人がおれば、健康保険法という法律で、誰でも安く医療を受けられるようにするわけです。でも、それでその人が本当に幸せになれるかどうかは、最後は、その人の努力にかかっており、法とは、それをほんのちょっと手助けするだけです。

 そんな非力な法ですが、それで助かる人も少なくないはずです。そのことを信じて、今年一年、また弁護士業務に取り組みたいと思っています。

 今年一年が、皆様にとって、よい年になることを願っています。

(ニュースレター2018年新年号より)

井奥圭介

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