弁碁士の呟き

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囲碁雑録(15)-1997年「未知の世界に遊ぶ楽しさ」

| 2020年8月5日

 昨年度の大会では、緒戦早々に今富滋先生に手痛い敗北を喫しましたが、今回は幸いにしてなんとか最後のゴールまで走り抜くことができホッとしています。

 囲碁は、僅かの例外を除き碁盤の361の点上どこにでも自由に着手できるというきわめて単純明快なゲームです。しかし、その奥深さはとうてい人知では極め尽くすことができない無限の変化があり、その故に古今東西の名手からわれわれ素人にいたるまで、質こそ違え苦心惨憺しながらも面白く楽めるのだといえましょう。

 専門家の計算によれば、人間が打ち得る棋譜の数は768桁であり、これを棋譜100枚で1センチの厚みとして重ねると、銀河宇宙の距離を往復すること、3に0を737個つけた回数になるといいます(江崎誠致「呉清源」)。また、別のたとえでは、その数は銀河宇宙の原子の数に匹敵するとのことで、まことに気の遠くなりそうな話です。

 一局の碁はその中のひとつであり、一手一手の最善手を見つけるのはまず不可能ですから、「勝とう、勝とう」と逸る心を抑えながら、マラソンレースと同様に、致命的なミスを警戒しつつ最後のゴールまで如何に走り続けるかを心掛けるのが肝要です。

 今回の大会では、くじ運の不思議か、前回の準優勝者今富さんにまた一回戦で当たり、なんとか前年のお返しをしたものの、続いて優勝者(第三期本因坊)中森宏さん、「世代交代の旗手」竹内隆夫さん、原田次郎さんと息つく暇もない実力者に当たってしまいました。いずれの勝負も、指運が幸いしたのか、相手の協力も受けつつ、気息奄々ながら無事二年振りに「第四期本因坊」の栄誉にたどり着くことができました。

 決勝戦の相手となったのは、宿敵原田君。一昨年の仇討ちか返り討ちかという勝負ですが、実はこの五年近くの間に、同君とは毎日のファックス碁がすでに90局を超え、互いに手の内を知り尽くしている相手です。対戦成績もこのところほぼ互角といってよく、原田君がなぜこの大会でこれまで優勝経験かないのかは不思議なことのひとつです。誰よりも彼の優勝を願っている私ではありますか、直接の対決ではやはりそうはいかないのか勝負の掟です。

 彼の棋風は、序盤はゆっくり手厚く打ち、中盤の戦いで相手か隙を見せたり、あせって無理な手を打つと、それを咎めて優位に立つ辛抱強さに特徴があります。しかし、時に簡単なところで錯覚する弱点もありますので、私としては常々そのチャンスを待ち受けることのできる心理的な余裕を保つことを心掛けてきました。将棋の故大山康晴名人は、「人間は必ず間違える」との信念を常勝の秘訣としていたそうですが、私も及ばずながらその翼尾に付そうというわけです。

 さて、決勝戦の模様は別掲の棋譜のとおりですが、私としては、白番のコミ(ハンディ五目半)を頼りに割合に手厚く打ち進めることかできたように思われます。原田君は、白126の次に黒の6子がアタリとなるのをウッカリしたとのことで、そのあせりが以後の戦いに悪影響を及ぼしたようです。

 しかし後日の石井邦生九段の講評によれば、この石を助けてもやや白が優位で、むしろその前の白106が打ち過ぎで(二路下に守るぐらい)、黒107の段階で黒が右辺の106の二路下に打ち込めば白も危なかったとのことでした。原田君がこれに気付かなかったのは、僥倖のかぎりでした。

 なお、この勝負には後日談があります。去る四月、二人は朝日新聞主催のアマ十傑戦大阪府大会に出場しました。175人の強豪の中で、ともに二日目の32人の中に歩を進めることができました。特筆すべきは、原田君が三回戦で勝った相手は、府代表にもなったことのある名だたる打ち手で、殊勲賞ものだったのです。

 そして二日目、なんとまた二人の対戦。くじ運とはいえ、同士討ちとは。もったいない話ですが、逆に考えると、強者ぞろいの勝ち抜き組の中でどちらかがベスト16に入ることが保証されているのだから、むしろ幸運とも言えるのではないかなどと話し合ったものでした。結果は、また原田君の悪癖が私を助け起こしてくれ、弁護士会の対局の再現となり、今年は同君から二重の贈り物をもらった感じでした。なお、その後の対局結果は「言わぬが花」でした。

 このところ、日本のアマ囲碁界は、若手の参加が少なく、国際的にも遅れをとっているようですか、わか大阪弁護士会もようやく活性化の兆しがでてきたようで、よろこばしいことです。この3月末有志の大会があり、また4月26日には、近弁連・中弁連懇親大会が60名近くの参加を得て盛大に行われました。ますますの盛況を期待する次第です。

(1997年6月 大阪弁護士会月報・囲碁A級第四期本因坊戦レポートより)

赤沢敬之

囲碁と裁判

| 2020年1月27日

 私の本業である弁護士業務の中で主たる仕事は民事裁判事件であり、主たる趣味は囲碁である。共に相手方との熾烈な戦いを繰り広げ、終局的にはいずれかの側が勝ちを収めるのが通例である。

ただ民事裁判では、当事者双方の言い分の相当性に応じて「和解」という解決が用意されている。

同じ勝負事であっても、将棋の場合はいずれか一方が完勝という結果で終わるのに対し、囲碁の場合はジゴという引き分け(「和局」という)や1目勝ちという僅差など勝敗の目数が表示されるので、対局者にとっては心理的な受け止め方が緩やかな面がある。

裁判に例えると、大まかに言えば囲碁は民事事件で将棋は刑事事件と対比できるのではないか。

 さて、ここでは囲碁と民事裁判の流れと勝敗を決するために必要な力量は何かを考えてみたい。

 

「前田なつほ木彫友の会」バス旅行の夕刻、琵琶湖畔のホテルで旧友と囲碁を楽しむ筆者(2019.10.29)

 

 

 裁判においては、まず依頼者からの事情聴取の段階で、その言い分の正当性や用意できる証拠の有無を大局的に判断し、裁判所にその主張を提出する。

囲碁における布石の段階である。

ここでは、いずれも大局的な判断力、直観力が要求される。

 

双方の主張が出揃った段階で、証拠書類提出や証人尋問等の証拠調べに入る。

囲碁における中盤戦の攻防である。

ここでは、双方の用意した主張や証拠を綿密に調べ、法令や判例の知見に基づき、当方の主張の正当性と相手方の主張の矛盾や不当性を追求する。

囲碁においても同様で、定石や手筋、古今東西の棋譜の知識に基づき、相手方の弱点を衝いたり、予想外の新手を繰り出すことが求められる。

言わば知識力、分析力、思考力が要求される。

 

 やがて証拠調べが終わり、裁判所の判決を待つか、或いは双方の合意に基づく和解の手続きに入るかという終局段階を迎える。

対して、囲碁における終盤では、詰碁やヨセの正確な判断力が不可欠である。

ここでは、最終解決をどうするかという決断力も試されることになる。

 

 このように考えると、裁判においてもまた囲碁においても、大局観、判断力、直観力、思考力、分析力、知識力、決断力、持続力の養成が不可欠であり、その総合としての人間力の絶えざる練磨・精進が欠かせない。

及ばずながら私もそのための努力を重ねたいと念願する新年である。

(ニュースレター2020年新年号より)

赤沢敬之

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