私と囲碁 | 2015年4月29日
昨年11月30日に100歳の天寿を全うされた「昭和の棋聖」呉清源師にお目にかかる機会は思いがけないことから始まった。昭和63年(1988)の正月から並べ始めた先生の「全集」の棋譜並べが最後の11巻目の半ばに差し掛かった平成8年(1996)2月中頃、同全集の刊行委員会から、4月に上海で行われる「第3回応氏杯世界選手権戦観戦ツァー」の案内が送られてきた。呉先生が同大会の実行委員長を務められるこの機会に、大会観戦に引き続き長江上流の「三峡下り」を行うとの贅沢な企画である。案内の対象は「全集」の購読者であった。正に絶好のチャンス、早速これに応募することとした。昭和16年(1941)から19年(1944)の戦時中に暮らし、その後昭和40年(1965)に再訪して以来23年ぶりの訪中であり、舞台は最高である。そして結婚以来共に遠路の旅をしてこなかった妻への慰労を兼ねての旅行であった。
やがて平成8年(1996)4月22日、成田空港に集合したメンバーは8名、直木賞作家の江崎誠致さん、呉先生の長男信樹氏のほか各地からの参加者6名で、中に私と同じ吹田市からの乙葉寛さんもおられた。同日午後、上海空港に到着し宿泊ホテルの「花園飯店」に向かう。ここで既に現地に到着していた参加者一同と顔合わせをしたあと、ホテルの一室で呉清源先生ご夫妻にご挨拶する機会に恵まれ、しばしの歓談の時を過ごした。このとき先生が「碁は調和です」と話された言葉が強く印象に残っている。
その夕刻、世界大会開催会場「錦江飯店」での前夜祭パーティで対戦組み合わせの抽選が行われ、翌日から5日間の対戦が始まる。当時大竹英雄、武宮正樹、依田紀基9段などの日本勢、聶衛平、馬暁春、常昊9段らの中国勢に対し、曺薫玄、劉昌赫9段などの韓国勢が勢いを増しており、まさに三国志の時代であった。熱戦の模様は、対局場のすぐ脇に設置されたテレビモニターで全局観戦できたので、主に日本選手の対局を見たが、長時間釘付けになることもできず、会場の雰囲気を垣間見る程度に終わり、勝負の結果など確認できなかった。なお、昼の休憩時にホテルの側で大竹さん、武宮さんに出会い挨拶を交わした際、武宮さんが私の妻に「碁はやらないの?面白いよ」とにこやかに声を掛けられたことが印象的で、妻は今もその言葉を記憶し、テレビに同9段が映ると必ずその口調を真似ている。
上海での4日間のうち自由時間があり、妻を連れて戦時中私が通った国民学校や共同租界の旧居住地を尋ねたが、都市開発の進展で昭和40年の訪中当時とは相当の様変わりをしており、遂に旧居には辿り着くことができなかったのは残念であった。(続)
*写真は上海のホテルでの面談風景