私と囲碁 | 2026年8月5日新着
去る4月10日、私の5人兄弟姉妹の末弟である博之が急逝し、12日にお通夜と、翌日に家族葬が行われるとの連絡が妻のひろみさんから届いた。思いもかけない通知であった。私は本年2月に90歳・卒寿の祝いを終え、双子を含む妹3人も89歳と83歳の長寿を保っているのに、81歳の末っ子が誰より先にあの世に旅立つとは!
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4月12日、妻と次男・俊介の運転する車で堺市の葬儀会館へ向かった。会場には、博之の妻ひろみさん、息子の雅之君をはじめ、甥の成田圭介君など、主だった親族が参列していた。お通夜の行事が進行し、棺に納められた弟の旅立ちの顔は、生前の面影そのままの安らかな表情であった。やがて会食の場に移り、ひろみさんや雅之君から臨終の模様について話を聞いた。
脳梗塞を発症したのが昨年の7月19日。彼は仲間のかかりつけである石田医院(堺市)で、石田先生らと月1回の定例会で碁盤を囲んだ後、会食に移り、乾杯の時に突然倒れて、救急病院に運ばれることになった。意識を取り戻したとき、妻子との会話の中で「今日は1目勝った!」と叫んだという。最近あまり勝てなくなっていると嘆いていたので、とても嬉しそうだったとのこと。
その後10ヶ月の闘病生活の中、仕事の指示や家族旅行のことなど、なおも生きる希望を持ち続けたが、遂にこの4月10日に帰らぬ人となった。話を聞き、残念なことではあるが、囲碁愛好者にとっては「幸せな」ひとことだったのではと慰めるほかない。
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弟がどのように囲碁に親しむことになったのかはよくわからないが、中学・高校・大学を経て弁護士になるまでの道は、全て兄である私の後を追ってきたことからみて、囲碁もそうだったと思われる。同居の期間は、天王寺区寺田町での1949年から5年ほどで、彼が小学3年の頃までだったから、あるいは下手の横好きであった父・重美に手解きを受け、兄の話などを聞かされたのではないだろうか。
彼は24期司法修習生として栃木県宇都宮市で実務修習の1年半を送ったが、その時期、彼の宿舎を訪ねたことがあった。その日(昭和45年11月25日)は、三島由紀夫の割腹事件がテレビで中継されていたのが印象に残っているのだが、その時に碁盤を囲んだかどうかは記憶にない。
その後彼は、1972年(昭和47年)に弁護士となり、堺市の法律事務所に就職。以後、弁護士活動や社会的活動に忙しい日々を送ることになる。
1978年(昭和53年)に大阪弁護士会の囲碁大会が会の行事として始まり、現在48回を数えている。私はこの大会に毎回参加しているが、彼も2008年(平成20年)の第31回から2024年(令和6年)まで、断続的に六段で参加し、第35回と第37回の2回、強豪揃いのA級で3位に入賞する実績を残している。
一方、直接の対局は、FAXで一手ずつ、毎日指し継ぐ形で行うようになったのが2005年から2012年までの間。向先で7年にわたっている。総計75局、私の45勝30敗であった。この頃すでに彼は六段を名乗っており、かなり腕を上げていた。
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囲碁には尽きせぬ面白さや魅力があると共に、頭脳を活性化する効用がある。博之はそれを体現してあの世へ旅立った。心より冥福を祈る! (弁護士 赤沢敬之)
(ニュースレター令和8年夏号より)