ニュースレターより | 2023年5月8日
人間社会には言葉が意思伝達の不可欠の道具であり、言葉を通じてそれぞれの人間関係や社会集団の合意形成や意思分裂の結果をもたらすこととなる。歴史的には、対面の会話に始まり、手紙や電話での遠距離の対話から、ラジオ・テレビ・新聞・雑誌や書物などメディアによる広域にわたる意思伝達へと広がりを見せ、遂にはインターネットやAIによるSNSなど情報伝達の媒体へと異常な進化を見せている。
言葉には、それぞれに多義的な解釈を伴うことが多く、それが人間の認識を動かす原動力となることがよく見られる。裁判においても、法解釈の多様性が避けられず、解釈次第で結論が左右される。いわんや政治の世界においてをや。
憲法9条の戦争放棄の条項をめぐり、岸田内閣が国会の論議を経ずに閣議決定と称し、「敵基地攻撃能力(先制攻撃)」の保有は合憲との言葉で「防衛装備」(武器)として攻撃用ミサイルの保有を認め、さらに海外への武器輸出制限を緩和するなど言葉を巧みに使って国民の合意を求めようとする。まさに「言葉の魔術」というほかない。2015年の高市早苗総務相の放送法をめぐる政治的公平性の解釈変更の行政指導とその経緯もその一例であろう。
かつて我が国は、アジア侵略戦争を合理化する「大東和共栄圏建設」のスローガンで国民を駆り立て、やがて「一億玉砕」に至った戦前の歴史も、言葉の魔術の悪しき前例である。
「新しい資本主義」「異次元の改革」「前例のない」「さまざまな」などの言葉だけで中身の具体的な説明をしない「政策」には眉に唾を塗って警戒を怠らず、「新しい戦前」の来ないよう努めたいと痛切に感じる昨今である。「憲法記念日」を前にしての雑感である。(弁護士 赤沢敬之)
(ニュースレター令和5年GW号より)