事務所便り

カテゴリ:ニュースレターより

弁護士井奥圭介の寺社探訪(5)興福寺(こうふくじ)

| 2025年9月12日新着

▶ 所在地 奈良市登大路町48番地
▶ 創 建 669年(天智8年)
▶ 開 基 藤原不比等(ふひと)

▶ 法相宗の大本山で、南都七大寺の一つに数えられています。
 開基は大化の改新の立役者である藤原鎌足の息子藤原不比等で、藤原氏の氏寺でもあります。
 元々は山背国山階(現、京都市山科区)に建てられた山階寺を起源とし、平城遷都(710年)に伴い、現在の地に移建されました。伽藍の造営は徐々に進められ、最後に南円堂が建てられ中心伽藍が完成したのは平安時代の813年でした。
 興福寺は、その後、何度にもわたって、平氏の焼き討ちなどによる焼失と復興を繰り返し、明治維新時には、廃仏毀釈の動きにより、築地塀・堂宇・庫蔵等の解体撤去が進められました。
 しかし、明治14年に再興が許可され、その後、戦争を挟んで、建造物や仏像などの修理が順次進められ、平成30年には伽藍の中心になる中金堂も再建されて、往時に近い姿を取り戻しています。
 国宝の五重塔は、高さ50.1mで、木造の五重塔としては京都の東寺に続いて2番目に高く、高さ制限の厳しい奈良県では今でも一番高い建物です。
 あと、興福寺と言えば、現在は国宝館に展示されている乾漆八部衆立像(奈良時代)、中でも阿修羅像は必見の価値があります。

(ニュースレター令和7年残暑号より)

井奥圭介

出口美保さんお別れ会

| 2025年9月10日新着

 猛暑の夏、親しい友人、知人の訃報を聞くことが多くなった。4月11日に亡くなったシャンソン歌手出口美保さんもそのひとりである。娘さんの早川香さんからの逝去の報と「お別れ会」のお知らせに接し驚きと無念さを禁じられなかった。

 故出口美保さん(本名早川三保子)は、私と2つ違いの大阪市生まれ。日本のシャンソン界の草分けのひとり故菅美砂緒さんに師事し、1968年にレコードデビュー、79年に北区梅新東でシャンソンのライブハウス「シャンソニエ・ベコー」を開業し、いくつかの「シャンソン教室」で多くの弟子を育てながら、「パリ祭」や毎年11月の恒例のフェスティバルホールでのリサイタルで豊かな声量と哀愁の美声を披露してこられた方であった。

 出口さんとの出会い

 さて、美保さんとの出会いはまさに不思議なご縁であった。
 10年程前だったか、事務所での仕事が遅くなり午後10時頃になったときは、個人タクシーの西原さんに事務所まで迎えにきてもらうのを常としていた。ある夜、西原タクシーで新御堂筋に向かう途中、「同じ方向に行かれる方を同乗させて貰っていいですか」との問いに同意、そして梅新東の角で乗ってこられたのが美保さんであった。車は桃山台を西に曲がり近くのマンションで出口さんを降し(応分の代金を頂く)、南千里の我が家に帰宅。これが嚆矢となり、その後も時々梅田の「教室」などでご一緒し、車内で会話を楽しんだ。
 これがきっかけで、私も事務所の帰途「シャンソニエ・ベコー」に寄り、お弟子さんやお客のシャンソンの演奏に疲れを癒した。
 そして出口さんからは、毎年のようにフェスティバルホールでのリサイタルに招待を受け、妻とともに喜んで出向き、美保さんの独演に身も心も魅了されたものである。
やがて2022年から24年、世界中に蔓延したコロナ禍により「ベコー」も閉店、リサイタルも開かれず、ただその終息を待つのみであった。この直前2019年の年末リサイタルのお招きの便りに書かれた「戦中戦後の四天王寺界隈の思い出」に接し、返信の礼状に「私も昭和24年の中学2年から高校時代に寺田町で暮らし、四天王寺界隈で通学し遊んだ昔をなつかしく思い起こし、またお目にかかった際にはそんな昔話に花を咲かせたいものです」と記した。しかし、その思いも露と消え残念の思いひとしおであった。

 お別れの会

スクリーン上の出口さんと

 7月26日午後3時ごろ、天神祭りの行列が老松通りを通る中、「お別れの会第1日」の「シャンソニエ・ベコー」に向かい、主催者の早川香さんや多くの関係者が列席する会場に到着し、入り口に設置された故人の在りし日の遺影と焼香台で焼香を済ませ、空いた席に坐したのが4時過ぎであった。
 会場前面の大きなスクリーンに往年のリサイタルで熱唱する美保さんの姿が流れている。机上には 回にわたるリサイタルのプログラムが並べられている。ドリンクのアイスコーヒーを戴きながら、冊子に目を通しつつコンサートの音声を聴く。まさに本式の会場にいるかのような夢幻の雰囲気に浸りたっぷり1時間美保さんとの心の対話をすることができた。
 会場の各スペースにはいくつかのグループや単独の列席者が並ぶ。その中で近くにおられた喪主のご主人早川廣さんとお話しできたのは幸いであった。また早川香さんとは主催者の仕事の忙しさの中なのでゆっくりとお話しできず、持参した美保さんへの礼状コピーをお渡しし、スマホに残るフェスティバルホールでのリサイタル終了後に挨拶に見えた時の写真をお見せしただけに終わった。
 幸い「ベコー」の店は香さんが跡を継ぎ再開する予定とのことなので、その節にはまた訪問してゆっくりとお話ししたいと念じている。 (弁護士 赤沢敬之)

(ニュースレター令和7年残暑号より)

赤沢敬之

近況報告

| 2025年9月9日新着

35度を超える猛暑日が続くと、31~2度でも涼しく感じるのは不思議なものです。近時の夏の暑さは個人的に何とか出来ることではなく、暑さを受け入れて楽しむ術を見つけなくてはならないと思ううちに、今年の夏も終わろうとしています。
皆さん、まだまだ残暑が続きそうですので、ご自愛ください。

(ニュースレター令和7年残暑号より)

井奥圭介

孫たちとの白浜旅行 戦争体験を語る

| 2025年9月8日新着

 今年の夏も恒例の白浜旅行に出かけた。8月14日に亡き父母たちのお盆法要を終え、15日午後1時13分発の特急「くろしお」に乗車し、新大阪を出発し4時10分無事白浜駅に到着。例年予約している白良浜を眼下に眺望する会員制マンションの3部屋に落ち着く。

宿舎の部屋から白良浜を望む

 今回の旅は、例年の妻、子どもその配偶者と孫5人の大所帯と異なり、列車に同乗したのは20代の孫娘「もも」を筆頭に高校3年の「ルイ」、小学年の「トウマ」と「おじいちゃん」の私の4人であった。その訳は、長男一家3人は貸室予約の関係で別行動であり、私たちと同行予定の妻と長女が発熱し、次男が看病のため家に残ることとなった次第であった。

 脊柱管狭窄症による足の痺れや左眼黄斑変性症などの不具合でキャリングカートを頼りに歩行する私を孫たちは支えてくれ、弁当やお茶も用意怠りなく車窓の景観を眺めながらくつろぎのひとときを送った。

 そして白浜駅に到着後しばらくして次女の夫が車で荷物を搭載して到着し無事合流した。その後夕食時には、千葉から社会人2年目の長女の長男「てつ」が空路白浜空港から到着。予約の部屋が人数減少でゆったりと利用でき、私はベッドを2つ並べた部屋を使用。ここで「てつ」と久しぶりに囲碁(7子局)を楽しむことが今回の旅の目的のひとつであった。夕食は海岸付近の食堂に行って食べたが、帰りが遅くなり、そのまま就寝するほかなかった。

 翌16日朝ゆっくり眠ったが、咳や鼻水が出始めたため大事をとり夕刻まで休養。夜7時過ぎに次女の夫と孫4人で白浜商店街の居酒屋風の食堂「まある」に行き、囲碁クエストにちなむ「クエ」の煮物などたっぷりと美食を味わい皆満腹。

食堂「まある」で孫たちと

 ここでで私は、この貴重な機会に孫たちに「昭和100年、戦後80年」の激動期を生きてきた私の戦争体験を聴かせてやりたいと思いに駆られ、昭和16年10月に生まれ故郷の徳島県鳴門市(当時板野郡)を離れ、祖母・母・妹3人で神戸港の豪華客船2万トンの大洋丸に乗り、父のいる上海共同租界に移住、翌年4月に上海第六国民学校に入学し、3年間の海外生活を始めた話を皮切りに、学校での軍事教練の体験や居住地近くの上海北駅でのゲリラ襲撃の目撃、昭和19年10月の帰国時の上海港での父との永久の別れの哀歓(その後2年後に父帰国)などを説き聞かせた。

 孫たちは初めての生々しい話に聞き耳を立て熱心に聞いてくれた。なかでも帰国時に乗った6000トンの軍用貨物船の魚雷・水雷・空上射撃を避けながら2週間にわたる遅々とした航路の話や船上に全員集合の場で船長の「万一襲撃などがあれば子供たちは船から放り投げて下さい。船員がなんとか救助します」との訓話には皆驚いた様子であった。

 その他いろいろ話したいことが山ほどあったが時間の関係で打ち切り、宿舎に戻ったのが午後9時半過ぎであった。お陰で部屋での「てつ」との対局の機会は失われたが、それ以上の満足感に浸る一夜となった。17日旅行はいよいよ最後の日。この日は孫たちの希望で白良浜のエネルギーランドでひと時を過ごし、円月島に近い臨海浦の「珊瑚礁」で伊勢海老料理を賞味したあと15時26分発「くろしお」に乗車し、新大阪に到着。初めての「孫たちとの旅行」はまことに意義深いものとなった。 (弁護士 赤沢敬之)

(ニュースレター令和7年残暑号より)

赤沢敬之

ニュースレター令和7年残暑号をお届けしました

| 2025年9月5日新着

こんにちは!ニュースレター担当の赤澤秀行です。

先日9月1日に弊所手作りニュースレターGW号(第21号)をお届けいたしました。

弊所のニュースレターはこれまで当事務所とご縁のあった方々にお送りしております。うちに来てないよ、という方はどうぞご一報ください。

 

 

次号は令和8年1月に新年号をお送りする予定です。どうぞお楽しみに!

なお、不定期掲載で「読者の広場」コーナーを設けています。ニュースレターの感想やご意見ご質問どしどしお送りください。その他、俳句、川柳、似顔絵なんでもどうぞ!(*^^*)

赤澤秀行

クロスワードの答え(2025年GW号)

| 2025年5月26日

事務所だより2025年GW号のクロスワードパズルの答えは以下の通りです!

 

赤澤秀行

近況報告

| 2025年5月23日

この2月に89歳の誕生日を迎え、体力・知力・気力の衰えを痛感する日々です。

従来からの持病である脊柱管狭窄症による足の痺れや左眼黄斑変性症・高血圧など歳相応の不具合はありますが、幸い曲がりなりにも日常生活を送れますので、ほぼ毎日重い鞄をカートに乗せて事務所に出ています。

最近は腰痛なども重なり歩行に難渋しますので、タクシーの利用が増え毎日の歩行数は減る一方。そして事務所では、本来の弁護士会業務は井奥弁護士に任せ、主としてこれまでの事件記録や様々の活動の関係書類の整理と処理、そして趣味の囲碁のネット観戦や棋譜採りに時間を費やしますが、昼過ぎから午後7時頃までの時間があっという間に過ぎてしまい、作業の量は従来に比して半減以下という始末です。

しかし、好奇心だけは衰えがなく、囲碁AIの勉強や新聞数紙掲載の数独やクロスワードを見つけると放置できず、これまでに1000問以上に取り組んでいます。 (弁護士 赤沢敬之)

(ニュースレター令和7年GW号より)

赤沢敬之

pagtTop