事務所便り

故郷の話

| 2025年5月20日新着

今回は、私の故郷の話をさせてください。

私の故郷は、兵庫県神崎郡福崎町と言って、姫路市の北隣り、播州平野が尽きて中国山地にさしかかる辺りにある人口1万8000人余りの田舎町です。

昔から但馬の和田山~姫路を南北に結ぶ国道312号線(かつては生野鉱山の銀を姫路の飾磨港まで運ぶ馬車道のルート)と三木~山崎(現在の宍粟市)を東西に結ぶ県道23号線が町内で交叉し、さらに今では東西に走る中国自動車道と南北に走る播但連絡道路のインターチェンジが町の中央にできています。交通が四方に通じている土地を「衢地」(くち)と言うそうですが、福崎町はまさにそれにあたります。

交通が発達すれば自ずから商業も盛んになります。「福崎に出した店はつぶれない」と言ったのは、今年96歳になる私の母親ですが、そう言われてみると、マクドナルド、丸亀製麺、餃子の王将、コメダ珈琲、スーパーのライフなど、人口2万足らずの小さな町にしては、そこそこ名の通った店舗が多く出店し賑わっています。

そんな福崎町ですが、町民のアイデンティティの対象は、実は、町の地勢でも産業でもなく、一人のこの町出身の学者の存在です。
「日本民俗学の父」と呼ばれ、「遠野物語」などの著作で有名な柳田國男がその人です。

① 柳田國男生家

柳田國男は、明治8年に、福崎町の辻川という集落で生まれました。生家は、「田」の字型の間取りの藁葺きの家で、柳田自ら「私の家は日本一小さな家」と言うほどこじんまりとした家でした。この家の造りが柳田に民俗学への関心を芽生えさせたと言われています。

その柳田の生家は、現在、元々あった場所から少し離れた辻川山公園内に移築され、一般に公開されています(写真①)。ちなみに、平成になるまで残っていた私の実家もこれとほぼ同じ造りで、播州地方の一般的な農家の間取りだったようです。

そして、現在、辻川山公園で最も評判を呼んでいるのは、池の中から時々姿を現す河童の河次郎(ガジロウ)(写真②)です(河次郎と柳田国男の縁については、写真③の説明板参照)。
皆さんも、機会がありましたら、一度、会いに行ってやってください。

② 河童の河次郎

③ 河次郎の説明板

平成の大合併の動きの中、福崎町も、お隣りの香寺町との合併話が出たようですが、結局、香寺町は姫路市との合併を選び、福崎町は合併を免れました。
18歳で故郷を離れた身としては、福崎が今でも独立の町として存在し続けてくれていることは嬉しい限りです。 (弁護士 井奥圭介)

(ニュースレター令和7年GW号より)

井奥圭介

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