事務所便り

投稿者:井奥圭介

弁護士井奥圭介の寺社探訪(4)法隆寺(ほうりゅうじ)

| 2025年5月22日

金堂・五重塔

▶ 所在地 奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺山内1番1号4

▶ 創 建 607年(推古15年)

▶ 開 基 推古天皇・聖徳太子

夢殿

▶ 世界最古の木造建築として名の知られた聖徳宗の大本山です。
平成5年に、姫路城とともに、日本で初めてユネスコの世界文化遺産に登録されました。

そもそもは、推古(すいこ)天皇と聖徳太子が、先々代の用明(ようめい)天皇の遺願を継いで、寺と本尊の「薬師如来」を造ったのが起源と言われています。境内は広く、西院と東院、二つの伽藍に分かれ、西院伽藍には金堂や五重塔、東院伽藍には夢殿などが存立しています。さらに、金堂内には釈迦三尊像、薬師如来座像、夢殿内には救世(くせ)観音像などの仏像が安置されています。また、日本史の教科書にも出てくる百済観音像や玉虫厨子などは、現在は、平成10年に完成した大宝蔵院内に安置されています。

以上、名前をあげた建造物や美術工芸品は、いずれも国宝に指定されたものばかりで、国宝・重要文化財に指定されたものは、法隆寺全体で約3000点にのぼります。その数は、この寺が如何に大きな歴史的文化的価値を有しているかを示しています。

(ニュースレター令和7年GW号より)

井奥圭介

故郷の話

| 2025年5月20日

今回は、私の故郷の話をさせてください。

私の故郷は、兵庫県神崎郡福崎町と言って、姫路市の北隣り、播州平野が尽きて中国山地にさしかかる辺りにある人口1万8000人余りの田舎町です。

昔から但馬の和田山~姫路を南北に結ぶ国道312号線(かつては生野鉱山の銀を姫路の飾磨港まで運ぶ馬車道のルート)と三木~山崎(現在の宍粟市)を東西に結ぶ県道23号線が町内で交叉し、さらに今では東西に走る中国自動車道と南北に走る播但連絡道路のインターチェンジが町の中央にできています。交通が四方に通じている土地を「衢地」(くち)と言うそうですが、福崎町はまさにそれにあたります。

交通が発達すれば自ずから商業も盛んになります。「福崎に出した店はつぶれない」と言ったのは、今年96歳になる私の母親ですが、そう言われてみると、マクドナルド、丸亀製麺、餃子の王将、コメダ珈琲、スーパーのライフなど、人口2万足らずの小さな町にしては、そこそこ名の通った店舗が多く出店し賑わっています。

そんな福崎町ですが、町民のアイデンティティの対象は、実は、町の地勢でも産業でもなく、一人のこの町出身の学者の存在です。
「日本民俗学の父」と呼ばれ、「遠野物語」などの著作で有名な柳田國男がその人です。

① 柳田國男生家

柳田國男は、明治8年に、福崎町の辻川という集落で生まれました。生家は、「田」の字型の間取りの藁葺きの家で、柳田自ら「私の家は日本一小さな家」と言うほどこじんまりとした家でした。この家の造りが柳田に民俗学への関心を芽生えさせたと言われています。

その柳田の生家は、現在、元々あった場所から少し離れた辻川山公園内に移築され、一般に公開されています(写真①)。ちなみに、平成になるまで残っていた私の実家もこれとほぼ同じ造りで、播州地方の一般的な農家の間取りだったようです。

そして、現在、辻川山公園で最も評判を呼んでいるのは、池の中から時々姿を現す河童の河次郎(ガジロウ)(写真②)です(河次郎と柳田国男の縁については、写真③の説明板参照)。
皆さんも、機会がありましたら、一度、会いに行ってやってください。

② 河童の河次郎

③ 河次郎の説明板

平成の大合併の動きの中、福崎町も、お隣りの香寺町との合併話が出たようですが、結局、香寺町は姫路市との合併を選び、福崎町は合併を免れました。
18歳で故郷を離れた身としては、福崎が今でも独立の町として存在し続けてくれていることは嬉しい限りです。 (弁護士 井奥圭介)

(ニュースレター令和7年GW号より)

井奥圭介

弁護士井奥圭介の寺社探訪(3)橿原神宮(かしはらじんぐう)

| 2025年1月17日

▶ 所在地 奈良県橿原市久米町934

▶ 創 建 1890年

▶ 開 基 明治天皇

▶ 神武天皇の即位の地とされる畝傍山東南麓の橿原宮跡に、京都御所の内侍所を本殿、神嘉殿を拝殿として下賜され、明治23年4月2日に官幣大社として創建されました。
 その後、神武天皇即位2600年にあたるとされた昭和15年に、国を挙げての奉祝記念事業として、社殿の修築、境域の拡張、外苑の建設などが行われ、現在の宮域が整いました。その際には全国から延べ121万人余りが勤労奉仕に参加したそうです。
このように、戦前は国家神道と深い関わりのあった橿原神宮ですが、戦後は一宗教法人として営まれ、初詣、七五三などの参拝で賑わっています。
 平成24年からは、毎年、橿原市在住の日本画家藤本静宏氏の原画による干支の大絵馬が外拝殿に飾られ(写真は昨年の辰の大絵馬)、参拝者の目を楽しませています。

(ニュースレター令和7年新年号より)

井奥圭介

弁護士井奥圭介の寺社探訪(2)薬師寺

| 2024年9月25日

 

▶ 所在地 奈良県奈良市西ノ京町457

▶ 創 建 白鳳時代

▶ 開 基 天武天皇

▶ 東大寺、法隆寺と並ぶ奈良の三大古刹の一つ(井奥の私見)で、法相宗の大本山、薬師寺です。元々は飛鳥にありましたが、平城遷都に伴い、718年に現在の地に移されました。
東西二つの塔を擁する創建時の大伽藍は、奈良盆地の中央に、威風堂々たる姿を示していたと思われますが、長年の間の災害等のためにほとんどの堂宇は焼失し、昭和の初期には東塔だけが残っているという寂しい状況でした。
戦後になり、昭和42年の高田好胤管主の発願により、往時の堂宇が一つずつ再建されていき、平成29年のじき食どう堂の再建により、現在の伽藍が完成しました。
創建時から残る唯一の建物で国宝に指定されている東塔は、一見、六重に見えますが、実は三重で、律動的な美しさが“凍れる音楽”と称されています。
仏像では、金堂に安置されている、これまた国宝の薬師三尊像(中央に薬師如来、向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩)が有名です。

(ニュースレター令和6年残暑号より)

井奥圭介

パリオリンピックに想う

| 2024年9月17日

 残暑お見舞い申し上げます。

 国連のグテーレス事務総長が発した〝地球沸騰化〟という言葉どおり、連日のように気温が35度を超える猛暑日が続いた今年の夏でしたが、その夏をさらに熱くしたのがパリオリンピックでの日本選手の活躍でした。

 大会前からメダル確実と言われ実際に獲得した選手、逆に実力を出し切れずメダルを逃した選手、かと言えば、大会前は全く注目されていなかったのに伏兵のように現れメダルを獲得した選手など、結果は様々ですが、どの選手も、日ごろの練習の成果を発揮して懸命に競技する姿は、見る者に感動を与えてくれました。そうした全ての選手に、「よくやった。お疲れさま。」と声をかけてあげたい気持ちです。

 ところで、3年前、コロナ禍のもと、無観客で行われた東京オリンピックは、新たな男女混合種目の実施等に見られる〝多様性の尊重〟が目指す理念でしたが、今回のパリオリンピックはどうでしょうか。世界情勢として、東京オリンピックの時と決定的に異なる点は、その後の2022年2月にロシアのウクライナ侵攻が始まり、さらに2023年10月にはイスラエルによるガザ地区侵攻も始まって、世界がにわかに戦争の方向にシフトしたことです。

 近代オリンピックの起源となった古代ギリシャのオリンピックは、伝染病の蔓延を防ぐには都市国家同士の争いをやめ競技会を開催せよとの神の啓示にもとづいて始められたとされ、大会開催中は参加国に休戦が義務付けられました。 近代オリンピックは、それを引継ぎ、スポーツを通して「平和な世界」を実現することを一つの理念にしていますが、パリオリンピックでは、前記のような世界情勢をふまえて、その理念が改めて大きくクローズアップされました。

 しかし、現在でも、国同士の争いは無くならいばかりか、大会開催中も戦地での戦闘は続けられている現状を見ると、果たして人類は古代オリンピックの時代に比べて進歩したのだろうかと悲観的な気持ちにもなります。

 しかし、今や、人類は、地球温暖化という、伝染病よりも恐ろしい共通の敵に直面しているのですから、一致団結してそれに立ち向かわなければなりません。ただでさえ沸騰した地球の大地に爆弾を落とし合ってさらに温めている場合ではないはずです。そんなことを考えさせられた今回のオリンピックでした。 (弁護士 井奥圭介)

(ニュースレター令和6年残暑号より)

井奥圭介

弁護士井奥圭介の寺社探訪(1)唐招提寺

| 2024年5月15日

 弁護士井奥圭介が趣味で訪れた寺社の案内をシリーズでお届けします。

 初回は奈良の唐招提寺です。

▶ 寺社名 唐招提寺(とうしょうだいじ)

▶ 所在地 奈良県奈良市五条町(近鉄西ノ京駅から徒歩約10分)

▶ 創 建 天平宝字3年(西暦759年)

▶ 開 基 鑑真

▶ 探訪日 令和6年4月7日(日)

▶ コメント 
 言わずと知れた鑑真和上の創建にかかる律宗の総本山です。
 南大門から入ってすぐ正面に見える金堂は、平成の大修理を経て、その優美な天平様式の偉容を示しています。そして、金堂の内部には、本尊の盧舎那仏座像を中心に、左右に薬師如来立像と千手観音立像(いずれも国法)が安置され、見る人を厳粛な気持ちにさせます。
 訪ねた日はちょうど桜が満開で、鐘楼脇の桜が見事に咲いていました。

(ニュースレター令和6年GW号より)

井奥圭介

郡山城跡の夜桜

| 2024年5月14日

 3月に入って寒い日が続いたため、桜の開花が、ここ数年に比べて、1~2週間遅くなったらしく、私が住んでいる奈良の大和郡山でも、4月第一週の週末に満開を迎えました。

そこで、妻と娘と3人で、地元の桜の名所、郡山城趾公園に夜桜を見に行き、数年ぶりに花見を楽しみました。  (弁護士 井奥圭介)

(ニュースレター令和6年GW号より)

井奥圭介

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