投稿者:井奥圭介
ニュースレターより | 2023年1月20日
弁護団の一員として取り組んでいるノーモア・ミナマタ近畿第2次訴訟が昨年12月に結審し、年末は最終準備書面の作成等に追われましたが、何とか期限までに提出でき、ほっとしているところです。
来たる判決が良い判決になることを願うばかりです。(弁護士 井奥圭介)
執務室でホッと一息つく筆者
ニュースレターより | 2023年1月16日
新年、明けましておめでとうございます。今年が、皆様にとって、良い一年になることを心よりお祈り申しあげます。
さて、令和2年の2月頃から始まった新型コロナウイルス感染の流行も今年で4年目に入ろうとしていますが、その影響で、日本の社会は、以前と比べて色々な面で様変わりしました。
裁判も、例外ではありません。感染が始まった当初、裁判所は、庁内での感染を恐れて、一時期、民事の裁判を、緊急を要する一部の手続を除いて、全面的にストップさせました。
しかし、それでは、裁判所のもつ社会的な役割を果たせないという反省から、徐々に、通常どおりに裁判期日を開くようになりましたが、以前と違って、当事者は裁判所に出頭せず、代理人弁護士の事務所等にいて、インターネットを利用したWEB会議で裁判官とやりとりすることが増えました。
実は、コロナ禍の前から、日本の裁判はもっとIT化を進めなければならないという意見はあったのですが、その意見が、コロナ禍による実際の必要に迫られて、一挙に現実化していったという感じです。
それでも、最初の頃は、1回目の期日だけは法廷は開き、2回目からWEB会議にするというような運用がされていましたが、そのうちに、もちろん当事者双方の同意を得た上ではありますが、1回目からWEB会議で行うというような運用もされるようになり、さらには、準備書面や書証も、実際に紙で提出するのではなく、文書データをパソコンから送信すればよい事件も現れました。間もなく、担当の裁判官と一度も直接顔を合わせる機会がないまま、和解で裁判が終わる事件も現れる見込みです。さすがに、証人尋問は、今でも、法廷で行われるのを原則としていますが、これも、遠方にいる証人などについてWEB方式による尋問を認めるケースを広めようとしています。
これまで、長年の間、裁判と言えば、裁判所に出頭して裁判官と直接やりとりするのを普通のこととしてきた身にとって、このような裁判の現状は、これが裁判?と首をかしげるような場面もあります。
しかし、考えてみると、裁判所に出頭しなくてもよいことで、移動の時間が節約でき、弁護士自身の負担軽減になります。また、交通費も節約でき、そのことは依頼者のメリットになります。さらに、事務所にいて参加できることで、裁判期日も入れやすくなり、訴訟の促進がはかれる効果も期待できます。それに、紙を使わなくてよければ、資源の節約にもなります。
こうして考えていくと、裁判の IT化の流れに反対する理由は何もないということになります。それを、裁判とはこういうものだといった固定観念だけで反対するのはやはりよくない、時代の進展に即して弁護士業務のスタイルも変えていく必要があると考えている今日この頃です。(弁護士 井奥圭介)
(ニュースレター令和5年新年号より)
ニュースレターより | 2022年9月20日
倉岳山頂からの眺望
私が弁護団の一員として活動しているノーモア・ミナマタ近畿訴訟は、大阪地裁で審理にあたっている裁判官が不知火海の現地を見分に行く手続が9月26日に予定されています。その準備のため、7月1日に予定ルートを下見に行ってきました。
写真は、天草諸島最高峰の倉岳山(標高682m)の山頂から水俣に向けて撮った写真です。空に浮かんでいるパラグライダーが気持ち良さそうでした。
(ニュースレター令和4年残暑号より)
又々、「法とは何ぞや」というよりも法の無力さについて考えさせられる事態が起きました。ロシア軍によるウクライナ侵攻のことです。
仮に同様のことが日本国内で行われれば、殺人罪に該当し、しかも刑罰の一種として死刑制度を存続させている我が国の法制度のもとにおいては、被害者の数や行為の残虐性からして、首謀者は間違いなく死刑に処せられるであろうような行為が、白昼、公然と続けられています。
こうした戦争犯罪を禁止する法律はないのかというと、ないわけではありません。ただし、それは、国際間のことですので、条約という形をとることになります。例えば、ロシア軍の行為で今一番問題にされているのは、非戦闘員の民間人に対する殺害や拷問などですが、こうした行為は1949年に制定されたジュネーブ条約や1977年に制定された同条約の追加議定書で禁止されています。
さらに、戦争犯罪人を処罰する機関として、かつては、ニュルンベルグ裁判や東京裁判などのように、戦勝国によって一時的に国際軍事裁判所が設置されていましたが、2002年に発効した条約にもとづき、国連の下でそうした問題を専門に取り扱う常設の裁判所として国際刑事裁判所(ICC)が設立されました。
これらは、これまでに何度も悲惨な戦争が繰り返された歴史の反省に立って、人類が築いた貴重な制度だと言えます。
しかし、条約というのは、各国が承認しないと、その国には効力が及びません。ところが、問題のロシアは(さらには、アメリカや中国も)ICC設立の根拠となった条約を承認していません。したがいまして、現状では、ICCがウクライナで行われている大量殺害行為の首謀者を処罰することはできないのです。こうして見ると、法というものは、それを執行する力の裏付けがないと無力なものだということが分かります。
しかし、無力だと嘆いているだけでは、現に甚大な被害を受けているウクライナの人々は救われません。既にICCはロシア軍の戦争犯罪を裏づける事実の調査を開始しています。そうした地道な活動によりロシア軍の戦争犯罪の事実があばかれ、それを糾弾する国際世論が高まり、ひいてはそのことがロシアを追い込んでいく、それを期待するしかありません。
この事務所だよりが皆様のお手元に届く頃には停戦が成立し、ウクライナの戦火がおさまっていることを祈るばかりです。
(ニュースレター令和4年GW号より)
ニュースレターより | 2022年2月14日
写真①(チッソ水俣工場)
昨年の秋、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」などで有名なアメリカの俳優ジョニー・デップが自ら企画し主演をした映画「MINAMATA」が日本で上映されました。
この映画は、水俣病患者の写真集を撮影したアメリカの写真家ユージン・スミスの伝記映画ですが、それを見た当事務所の赤沢秀行行政書士がいたく感動し、たまたま私が水俣病の弁護団で活動していることから、是非、事務所ニュースで水俣病の特集をしたいと言ってくれ、この企画となりました。
それでは、私が知っている水俣病のことについてお話しします。
水俣病とは、熊本県水俣市にあるチッソ株式会社の工場(写真①)が排出した廃液に含まれるメチル水銀によって汚染された魚介類を摂取することで起こる健康障害のことをいいます。
水俣病の原因であるメチル水銀は、体内に摂取されると主に脳細胞に作用し、様々な障害を与えます。
発生当初は、手足が曲がったりけいれんを起こしたり錯乱状態となり発病から数週間で亡くなってしまう重症の患者も多数いました。皆さんも、テレビなどで、体を小刻みにふるわせる女性の患者の映像を見られたことがあると思います。
しかし、今現在、水俣病で苦しんでいる患者の多くは、慢性型の水俣病で、一見、普通の人と変わりませんが、以下のような様々な症状や日常生活の不便を抱えています。
・手足の先がしびれる。怪我をしても痛くない。やけどをしても熱くない。
・手の感覚がなく物を落としてしまう。字を書けない。
・手がふるえて、ボタンをかけられない。
・まわりが見えにくくなり、ふすまや壁にぶつかる。
・つまずきやすい。ふらつく。
・手や足がつる。
昭和25年ころから、水俣湾沿岸地域で魚が大量に浮上したり、猫が狂い死にするなどの現象が見られるようになりました。
当初、原因は分からず、奇病や伝染病として地元では怖れられていました。
昭和31年5月1日、チッソ水俣工場付属病院の院長が、原因不明の中枢神経疾患が発生したことを水俣保健所に届け出ました。この日が、水俣病の公式確認の日にあたります。
当時、水俣病の原因となるメチル水銀は、チッソ水俣工場で化学製品の原料(アセトアルデヒド)を製造する工程で生成され、それが工場廃水に含まれた状態で不知火海に排出されていました。不知火海に流されたメチル水銀は、食物連鎖を通じて魚介類の体内で蓄積されていき、その汚染された魚介類を地域住民がたくさん食べたことによって、水俣病という深刻な公害病が広がることとなりました。
メチル水銀による汚染は、老若男女を問わず地域住民のすべてに及び、さらには、まだ生まれていない胎児にまで被害を及ぼしました。
水俣病が公式確認された後も、チッソは、メチル水銀を含んだ工場排水を流し続け、多数の水俣病患者が発生し続けることとなりました。
このような中で、一部の患者と親族が水俣病患者家庭互助会を結成して補償を求めましたが、結局、昭和34年の年末、死者でも30万円程度の見舞金契約の締結を強いられました。
その後、チッソは、昭和43年5月にアセトアルデヒドの製造をやめ、その4ヶ月後の昭和43年9月に、国は、ようやく水俣病がチッソ水俣工場の廃液を原因とする公害であったことを認めました。
その後も互助会とチッソとの間で交渉が続きましたが、当時の厚生省が設置した第三者機関は、患者側に対し、同機関が出した結論に一切の異議を述べないという白紙委任状の提出を求めました。
このような手法に応じることができないとして、裁判所での解決を求めて昭和44年6月に提起されたのが、水俣病第一次訴訟です。
昭和48年3月の熊本地裁判決では、チッソの責任を明確に認め、1600~1800万円の賠償を命じました。
第一次訴訟の判決を受けて、チッソと患者団体との間で、補償協定が締結されました。補償内容は、一時金1600~1800万円、その他に医療費、年金、葬祭料等の支給が定められました。そして、この補償協定は、その後に認定される被害者にも適用されることが約束されました。
そこで、多くの患者が、補償を受けるために熊本県や鹿児島県に公害病の認定を申請する事態となりました。
しかし、認定申請が急増したため、国は、昭和52年に、水俣病と判断する条件を厳しくし、それまでは1つでも症状があれば水俣病と認めたのを、複数の症状がないと認めないようになりました。
そこで、被害者らは、国の姿勢を変えるため、昭和55年に、チッソだけでなく、国や熊本県も被告にして第三次訴訟を起こしました。この第三次訴訟は、熊本のほか、大阪、京都、東京など全国各地で起こされ、各地裁で勝訴判決が言い渡されました。
そのような状況の中、ようやく国も重い腰を上げ、平成7年に、合計1万人を超える被害者に国、熊本県やチッソが補償することを条件に水俣病問題を解決する「95年政治解決」がはかられました。
しかし、唯一、政治解決を拒み、大阪で裁判を続けた水俣病関西訴訟の原告は、平成16年に最高裁で勝訴判決を勝ち取りました。その判決では、国の水俣病の認定基準が事実上否定されました。
そこで、被害者は、国の認定基準が緩和されることを期待して県に公害病の認定を申請しましたが、認定基準は依然として厳しいままでした。
そこで、被害者が、裁判所に最後の望みを託して、平成17年に起こしたのがノーモア・ミナマタ訴訟です。この訴訟は、熊本のほか、大阪、東京、新潟でも起こされ、私が弁護団の一員として加わったのが大阪の訴訟でした。私と水俣病との関わりはここから始まりました。
このノーモア・ミナマタ訴訟は、平成23年に勝利和解により解決するとともに、国に水俣病被害者を救済するための特別措置法を制定させるという大きな成果を勝ち取りました。
しかし、特別措置法には居住地(写真②)や年代の制限があったために救済されなかったり、そもそもそのような制度があることを知らず申請できなかった多くの被害者がまだ存在します。そのような取り残された被害者を救済するために現在も続いているのがノーモア・ミナマタ2次訴訟です。
写真②(天草の倉岳山頂からの眺望) 緑矢印の下辺りが水俣。海上に引かれた赤線の向こう側は水俣病特措法の対象地域、手前は非対象地域。この線のどちら側に住んでいたかで救済されるかどうかが左右されることに、被害者は「海に線は引けないはず」と強く反発している。
写真③(ノーモア・ミナマタ第2次訴訟提訴(前列左端が筆者))
大阪では平成26年から始まったこの訴訟(写真③)は、今、大詰めの原告本人尋問が行われており、今年中には結審を迎える見通しです。
以上、水俣病の歴史は、大変複雑で、一つ新しい救済制度が出来ても、その不備のために救済されずに取り残される被害者が生じるという“イタチごっこ”を繰り返してきたことがお分かりいただけたと思います。
水俣病が公式確認されてから既に65年以上が経つというのに、まだ被害者が救済を求めて裁判を続けているというのは大変悲しいことです。何とか水俣病を解決するために皆さんの声を政府に届ける手段として、弁護団では、現在、ネット署名に取り組んでいます。案内のチラシを同封しますので、よろしければ、ご協力ください。
(ニュースレター2022年新年号より)
案内チラシはこちら
皆様 残暑お見舞い申し上げます。暑さに異常気象が加わり、体も心も休まらない夏でしたが、疲れが出ませんよう、お気をつけください。
さて、事前にはそもそも開催すべきかどうかの議論すらあった東京オリンピックは、日本選手のメダルラッシュという結果を残して、終わりました。これは、開催前からある程度予測できたことですが、競技が始まり日本選手が活躍していくにつれて、やっぱりオリンピックはやってよかったという意見が強くなっていったように思います。私自身の心中も同様でした。
特に、私が、今回のオリンピックで印象に残ったことが二つありました。
一つは、柔道、水泳、卓球など、多くの競技で、男女混合戦が初めて実施されたことです。“多様性の尊重”が今回のオリンピックの目指した理念でしたが、男女相互の尊重もその一つです。しかし、それを実現するには、頭の中で考えるだけではダメで、一つの目的に向かって男女が協同することが最も近道なように思います。男女混合戦はまさにそれを具体化したものでした。
もう一つは、スケートボード、自転車BMX、スポーツクライミングなど、いわゆるストリート系の新競技の採用です。実のところ、ほとんど知識のなかった私は、そうした種目に興じる若者は、どちらかというとあまり行儀がよろしくないタイプという一種の偏見を持っていました。しかし、スケートボード金メダルの堀米雄斗さんのそのまま高校の生徒会長が務まりそうな容貌や、メダルを争うライバル同士でありながら相手の技が決まった時には自分のことのように喜び合う選手の姿を見て、これからはこうした若者が世界を動かしていくのだなという思いを強くしました。
色々なことを感じさせてくれた選手には「ありがとう。お疲れさま。」と言いたいです。願わくは、コロナ禍の制約のない中での大会にしたかったというのは多くの国民の思いでしょう。
(ニュースレター2021年夏号より)
執務室にて
大阪府立中之島図書館の桜(遠景は裁判所)
「沈黙の春」とは、1962年にアメリカで出版された生物学者レイチェル・カーソンの著作の題名です。カーソンは、この著作の中で、農薬で利用されている化学物質の危険性をとりあげ、それらによって鳥たちも鳴かない「沈黙の春」がおとずれると世に警告しました。しかし、今、世界は、農薬ではなくウイルスによって、鳥ではなく人間が押し黙る二度目の「沈黙の春」を迎えています。
日本では昨年1月に始まった新型コロナウィルスの感染拡大は、2年目に入った今も勢いはおとろえず、第三波が収まったと思ったらもう第四波の兆しが見られる状況です(4月12日現在)。
この自然からの侵襲に人間はなすすべもなく、1年目の昨春は、飲酒を伴う花見は各地で禁止となり、春の選抜高校野球は中止、プロ野球も開幕が6月にずれ込みました。
2年目の今春は、花見の禁止は変わらないものの、高校野球は予定通り開かれ、プロ野球も3月26日には両リーグとも開幕するなど、この歓迎されざる自然からの侵襲とのつきあいにも少しは慣れてきたように思います。
それでも、多人数が集まったり、懇親会を開いたり、孫が祖父母に会いに行ったりなど、これまで普通に行われていたことができないもどかしい状況は続いています。もしコロナの感染拡大に意味があるとすれば、そんな何でもない人の営みがかけがえのないものであることを我々に教えてくれたことくらいでしょう。
しかし、それももう十分です。ようやく始まったワクチン摂取の効果が出て、我々の生活が平常に戻ることを願ってやみません。それまで、皆様、お健やかにお過ごしください。
(ニュースレター2021年春号より)