事務所便り

投稿者:赤沢敬之

近況報告

| 2025年5月23日

この2月に89歳の誕生日を迎え、体力・知力・気力の衰えを痛感する日々です。

従来からの持病である脊柱管狭窄症による足の痺れや左眼黄斑変性症・高血圧など歳相応の不具合はありますが、幸い曲がりなりにも日常生活を送れますので、ほぼ毎日重い鞄をカートに乗せて事務所に出ています。

最近は腰痛なども重なり歩行に難渋しますので、タクシーの利用が増え毎日の歩行数は減る一方。そして事務所では、本来の弁護士会業務は井奥弁護士に任せ、主としてこれまでの事件記録や様々の活動の関係書類の整理と処理、そして趣味の囲碁のネット観戦や棋譜採りに時間を費やしますが、昼過ぎから午後7時頃までの時間があっという間に過ぎてしまい、作業の量は従来に比して半減以下という始末です。

しかし、好奇心だけは衰えがなく、囲碁AIの勉強や新聞数紙掲載の数独やクロスワードを見つけると放置できず、これまでに1000問以上に取り組んでいます。 (弁護士 赤沢敬之)

(ニュースレター令和7年GW号より)

赤沢敬之

新年ご挨拶

| 2025年1月15日

 明けましておめでとうございます。新しい年を迎え、所員一同今年も心を新たに仕事に取り組みたいと念じています。どうかよろしくお願い申し上げます。

 過ぐる年は、新型コロナ禍の世界蔓延が収まりを見せたのと入れ替えに、ロシア・プーチンのウクライナ侵攻の激化、イスラエルのガザ地区やレバノンへの攻撃など平和な世界を脅かす事態が続く一方、わが国も地球温暖化による自然災害の頻発という地球規模の人類の危機的状況への対処を置き去りにしているようです。

 このような世相のもと昨年10月下旬のことですが、心暖まる出来事が2つ続きました。ひとつは梅田新道の大阪梅田第三ビルから事務所に向かう途中の国道1号線の陸橋の50段程の階段をキャリングカートを持ち上げながら登るのに難渋しているときでした。9年ほど前からの脊柱管狭窄症で足のしびれがひどくなっていた時でなかなか上に進みません。その時通りかかった30代と思しき女性が「持ちましょうか」と声を掛けてくれ、登り切ってからもさらに下りの階段まで手助けを頂いたのです。恐縮してお礼の言葉を掛けましたが、同女は微笑みながらまた階段を上り姿を消してしまいました。

 その翌日午後1時半、大阪家庭裁判所の仕事で地下鉄谷町4丁目駅で下車し、地上に向かうためエスカレーターやエレベーターを探したのですが見当たらず地下街を右往左往して20分を労費し、やむなく従来から登っていた階段に戻りました。改めて階段を見上げると100段位はありそうですが覚悟を決めて10段ほど苦労して登り始めたときです。上方から7、8人の欧州人と思われる集団が通り過ぎたのですが、その直後一人の40歳台の男性が私の前に上ってきて、カートを指さしこれを引き上げてくれたのです。そして遥か上方の地上まで私を誘導してくれました。感謝感激で何度も頭を下げ、互いに微笑みを交わし、咄嗟に同氏の近影と下段に降り行く姿をスマホに残しました。こうして午後2時に指定された調停期日の数分前に間に合うことができました。

 新年にあたり、このような助け合いの心と困っている人への援助の手こそが、分断、放置、自己責任を旨とする格差社会の打破につながる貴重な行為であると改めて感じ、及ばずながら私もこの一年、老骨を鞭打ちたいと決意した次第です。

二〇二五年 元旦  赤 沢 敬 之

(ニュースレター令和7年新年号より)

赤沢敬之

南海トラフ地震と白浜行き

| 2024年9月20日

 今年もまた、恒例の家族一同9名(私夫婦、子2人と配偶者1人,孫4人)が8月8日から13日にかけて、白浜の会員制マンションに出かけた。

 昨年は紀伊半島を目指し北上中の大型台風とのせめぎあいで運よく白浜に到着できたが、今年はさらに思いがけない事態に遭遇した。出発当日、宮崎県でマグニチュード7.1の地震が発生、気象庁が「南海トラフ緊急注意情報」を発信したことにより、翌9日から1週間、白浜行き特急くろしおの運転中止、海水浴場の閉鎖、花火大会中止を決定されたのである。

 現地で情報を聞いたところ、多くの観光客向けの食堂や店舗は閉店とのこと。折角来たのに老齢の私には温泉でゆっくりできればほぼ満足だが若者は海にも行けない。食事はどうするかなど思い迷わされた。
 

もっとも、白浜の2泊3日、マンションの来客は少なくのんびりとでき、若者たちもプールや浜辺近くに遊びに出かけそれなりに楽しんでいたようだ。高台の建物のベランダから一望できる白良浜の展望は快晴のもと実にゆったりとした優雅な風景である。海辺に人はなく街中もひっそりと静まっている。

部屋のベランダから無人の白良浜を望む

 さて問題はどのような方法で新大阪まで帰るのか。しかし、幸いなことに次女の夫が深夜自動車で駆けつけてくれた。これで高齢者は車で帰り、若者たちは鈍行で和歌山まで乗り継げばほぼ2倍の6時間程度で夜には到着できる。

 こうして10日午後、一同は二手に分かれ、私たち夫婦は車で一路大阪を目指した。高速道路に入ると前方には車の影もない。おそらく情報を早く知った多くの外人客などが急遽前夜に白浜を去ったためではないか。車は順調に進み約3時間で自宅に帰ることができた。そして、電車組はその後3時間の後ようやく到着したのであった。

 2年連続でのハプニングに地球環境の恐るべき悪化を思い知らされ、人類の未来のため如何になすべきかを考えさせられた猛暑の夏である。 (弁護士 赤沢敬之)

(ニュースレター令和6年残暑号より)

 

赤沢敬之

新年ご挨拶

| 2024年1月23日

神奈川県・湘南江の島稚児ヶ淵から富士を望む(撮影:赤澤秀行)

明けましておめでとうございます。
新しい年を迎え、所員一同今年も心を新たに仕事に取り組みたいと念じています。どうかよろしくお願い申し上げます。

 この新年は、昨年から引き続くロシアのウクライナへの侵略戦争に加え、イスラエルのパキスタン自治区のガザへの大量虐殺戦争が世界の平和を乱し、また国内でも、物価高騰による生活水準の低下とこれに対する大企業の511兆円を超える内部留保の問題や、格差拡大の中での岸田政権の無策ぶり、さらには自民党各派閥のパーティー券販売による政治資金規正法違反の裏金作りなど、とても「明るい希望に満ちた新年」とは言えない状況です。
 このような年の初めに、私たち市民はどうすればいいのか。ひとりひとりが新しい時代を作っていく責任を負わされた年だと気を引き締めています。

 一方で私の近況はと言うと、昨年11月下旬、4年ぶりに開催された法曹囲碁大会に参加するため単身上京しました。大会前日に新幹線で東京へ。東京駅では昨年東京地裁に事務官として就職した孫の出迎えを受け、そのまま松戸市の長女宅に宿泊し、翌日の午前11時半から市ヶ谷の日本棋院で対局しました。
 私は団体戦A大阪チーム3名のトップとして、東京弁護士会、東京第二弁護士会、岡山弁護士会のチームと3局対戦。辛うじて3戦目に勝ちを収めましたが、対局中と帰りの新幹線で座りっぱなしだったためか、翌日以来腰痛を発症し、しばらくは歩行に苦労しました。やっと12月中旬にはほぼ回復しました。
 4年ぶりの東京は駅の地下や交通路線が相変わらず複雑でしたが、幸い長女と孫が観戦のため同行してくれて助かった次第です。

 本年2月には私も満88歳、米寿を迎えます。脊柱管狭窄症による足の痺れや左眼黄斑変性症など歳相応の不具合はありますが、なんとか毎日事務所に出て仕事ができることを感謝しています。しかし、残り僅かな人生を楽しむため、今年は事務所の運営を次世代の所員にバトンタッチしたいと考えています。
 どうか今後とも皆様方のご支援を賜りますようお願い申し上げます。

二〇二四年 元旦  赤 沢 敬 之

(ニュースレター令和6年新年号より)

赤沢敬之

灼熱の夏 白浜行き

| 2023年9月11日

今年もまた、恒例の家族一同12名 (私夫婦、子3人と配偶者2人、孫5人) が8月10日から13日にかけて白浜の会員制マンションに出かけてきました。

毎年お盆前の白浜海岸の花火大会見物がメインイベントの一つなのですが、 今年は太平洋沖で発生し紀伊半島を目指して北上中の大型台風7号の進路と速度によっては、中止の可能性大で、 そもそも旅行自体ができるのかともどかしい日々でした。

しかし、幸いにも台風の進行速度が遅くなり、10日午後新大阪から特急「くろしお号」で無事白浜に到着、同夜、4年ぶりに開催された海上花火3000発の連射を楽しむことができました。

そして孫たちの海水浴やアドベンチャーワールドのイルカショー見物、 なによりも温泉でのくつろぎなど無事3日間を過ごし、13日に帰阪したのですが、この間台風はなおゆっくりと紀伊半島に向かい、ようやく8月15日未明に潮岬に上陸しました。

まさにスリルに満ちた自然との共生でした。(弁護士 赤沢敬之)

白浜宿泊先の玄関前にて

(ニュースレター令和5年残暑号より)

赤沢敬之

踏んだり蹴ったり

| 2023年5月9日

季節は巡り青葉若葉の好季節となりました。前号からの3か月は、私にとって「踏んだり蹴ったり」の試練の時でした。

年末から1月半ばまでの3週間はコロナ感染での寝正月。幸い重症化を免れある意味では貴重な休養となったのですが、右足の踵に床擦れが発症した褥瘡により数か月にわたり疼痛で歩行に難儀しました。いくつかの調剤を経て現在は漢方塗薬で快癒の経過を辿っています。

もう一つは、3月29日朝のゴミ出しの際、なにかの拍子にスマホがゴミ袋に入り込んだらしく、昼前に気付いたが後の祭り。どこを探しても見つからず、やむなく次男の協力のもとスマホ購入店舗との電話やネットでの探索作業の結果、万博記念公園付近のゴミ処理場で焼却待ち、同日中に焼却の運命であることが判明しました。

ただ不幸中の幸いで、他人の手に渡り悪用される懸念がないことが分かりひと安堵。数日後代替品を入手できましたが入力データの一部の復元は無理でした。この間の1週間は外出中に家や事務所にも連絡ができず「束手無策」の毎日でした。

こんな経験をした老年の日々でしたが、これを教訓として些細なことにも万全の注意を怠らないよう努めたいと念じています。(弁護士 赤沢敬之)

 

自宅の庭にて(2023.4)

赤沢敬之

言葉の魔術

| 2023年5月8日

宝塚市・花のみち

人間社会には言葉が意思伝達の不可欠の道具であり、言葉を通じてそれぞれの人間関係や社会集団の合意形成や意思分裂の結果をもたらすこととなる。歴史的には、対面の会話に始まり、手紙や電話での遠距離の対話から、ラジオ・テレビ・新聞・雑誌や書物などメディアによる広域にわたる意思伝達へと広がりを見せ、遂にはインターネットやAIによるSNSなど情報伝達の媒体へと異常な進化を見せている。

 言葉には、それぞれに多義的な解釈を伴うことが多く、それが人間の認識を動かす原動力となることがよく見られる。裁判においても、法解釈の多様性が避けられず、解釈次第で結論が左右される。いわんや政治の世界においてをや。

 憲法9条の戦争放棄の条項をめぐり、岸田内閣が国会の論議を経ずに閣議決定と称し、「敵基地攻撃能力(先制攻撃)」の保有は合憲との言葉で「防衛装備」(武器)として攻撃用ミサイルの保有を認め、さらに海外への武器輸出制限を緩和するなど言葉を巧みに使って国民の合意を求めようとする。まさに「言葉の魔術」というほかない。2015年の高市早苗総務相の放送法をめぐる政治的公平性の解釈変更の行政指導とその経緯もその一例であろう。

 かつて我が国は、アジア侵略戦争を合理化する「大東和共栄圏建設」のスローガンで国民を駆り立て、やがて「一億玉砕」に至った戦前の歴史も、言葉の魔術の悪しき前例である。

 「新しい資本主義」「異次元の改革」「前例のない」「さまざまな」などの言葉だけで中身の具体的な説明をしない「政策」には眉に唾を塗って警戒を怠らず、「新しい戦前」の来ないよう努めたいと痛切に感じる昨今である。「憲法記念日」を前にしての雑感である。(弁護士 赤沢敬之)

(ニュースレター令和5年GW号より)

赤沢敬之

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