事務所便り

カテゴリ:ニュースレターより

戦争と法

| 2022年5月6日

 又々、「法とは何ぞや」というよりも法の無力さについて考えさせられる事態が起きました。ロシア軍によるウクライナ侵攻のことです。

 仮に同様のことが日本国内で行われれば、殺人罪に該当し、しかも刑罰の一種として死刑制度を存続させている我が国の法制度のもとにおいては、被害者の数や行為の残虐性からして、首謀者は間違いなく死刑に処せられるであろうような行為が、白昼、公然と続けられています。

 こうした戦争犯罪を禁止する法律はないのかというと、ないわけではありません。ただし、それは、国際間のことですので、条約という形をとることになります。例えば、ロシア軍の行為で今一番問題にされているのは、非戦闘員の民間人に対する殺害や拷問などですが、こうした行為は1949年に制定されたジュネーブ条約や1977年に制定された同条約の追加議定書で禁止されています。

 さらに、戦争犯罪人を処罰する機関として、かつては、ニュルンベルグ裁判や東京裁判などのように、戦勝国によって一時的に国際軍事裁判所が設置されていましたが、2002年に発効した条約にもとづき、国連の下でそうした問題を専門に取り扱う常設の裁判所として国際刑事裁判所(ICC)が設立されました。

 これらは、これまでに何度も悲惨な戦争が繰り返された歴史の反省に立って、人類が築いた貴重な制度だと言えます。

 しかし、条約というのは、各国が承認しないと、その国には効力が及びません。ところが、問題のロシアは(さらには、アメリカや中国も)ICC設立の根拠となった条約を承認していません。したがいまして、現状では、ICCがウクライナで行われている大量殺害行為の首謀者を処罰することはできないのです。こうして見ると、法というものは、それを執行する力の裏付けがないと無力なものだということが分かります。

 しかし、無力だと嘆いているだけでは、現に甚大な被害を受けているウクライナの人々は救われません。既にICCはロシア軍の戦争犯罪を裏づける事実の調査を開始しています。そうした地道な活動によりロシア軍の戦争犯罪の事実があばかれ、それを糾弾する国際世論が高まり、ひいてはそのことがロシアを追い込んでいく、それを期待するしかありません。

 この事務所だよりが皆様のお手元に届く頃には停戦が成立し、ウクライナの戦火がおさまっていることを祈るばかりです。

(ニュースレター令和4年GW号より)

井奥圭介

映画「MINAMATA」と『水俣のピエタ』

| 2022年2月15日

サン・ピエトロのピエタ(ヴァチカン美術館所蔵)  撮影:赤澤秀行

 

最近ではTVタレントのような弁護士も多い中、弊所の井奥弁護士は市民のために社会正義を実現したいという思いから弁護士になった市民派の弁護士の一人です。

水俣病の弁護団活動にもずいぶん長く関わっています。

そんな井奥弁護士の傍らで仕事しながら、僕の水俣病についての知識は未だ小中学生レベルのまま止まっていました。

映画「MINAMATA」を観るまでは。 

 

   

           
昨秋に大阪でロードショーを観たときは終始静かな涙が止まらないほど心が揺さぶられました。

特にクライマックスであの有名な「入浴する智子と母」を撮影するシーンはまさに映画の力を見せつけられる思いでした(この写真は世界で「水俣のピエタ」と称されているそうです)。

そしてすぐに写真家ユージン・スミスとアイリーン・スミスの水俣での活動を書いた石井妙子のノンフィクション「魂を撮ろう」やユージン・スミスの写真集を取り寄せ、数々の水俣病のドキュメンタリーを見聞するなかで、改めて未だに終わっていない水俣病を始めとする世界の公害問題について思いを馳せることになったのです。  

              
 映画「MINAMATA」はもちろん事実を元にしたフィクションですが、この映画の公開によって「知らなかった事実に関心を持ってほしい」という主演でプロデューサーのJ・デップの願いはきっと観る者に伝わったことでしょう。

そして今回の特集記事を読んでいただいた皆様にも現在進行形の水俣病問題についてほんの少し関心を持っていただければ嬉しい限りです。  

(ニュースレター2022年新年号より)

赤澤秀行

【特集】水俣病

| 2022年2月14日

写真①(チッソ水俣工場)

 

昨年の秋、映画「パイレーツ・オブ・カリビアン」などで有名なアメリカの俳優ジョニー・デップが自ら企画し主演をした映画「MINAMATA」が日本で上映されました。

この映画は、水俣病患者の写真集を撮影したアメリカの写真家ユージン・スミスの伝記映画ですが、それを見た当事務所の赤沢秀行行政書士がいたく感動し、たまたま私が水俣病の弁護団で活動していることから、是非、事務所ニュースで水俣病の特集をしたいと言ってくれ、この企画となりました。

それでは、私が知っている水俣病のことについてお話しします。

 

1 水俣病とは

水俣病とは、熊本県水俣市にあるチッソ株式会社の工場(写真①)が排出した廃液に含まれるメチル水銀によって汚染された魚介類を摂取することで起こる健康障害のことをいいます。

水俣病の原因であるメチル水銀は、体内に摂取されると主に脳細胞に作用し、様々な障害を与えます。

発生当初は、手足が曲がったりけいれんを起こしたり錯乱状態となり発病から数週間で亡くなってしまう重症の患者も多数いました。皆さんも、テレビなどで、体を小刻みにふるわせる女性の患者の映像を見られたことがあると思います。

しかし、今現在、水俣病で苦しんでいる患者の多くは、慢性型の水俣病で、一見、普通の人と変わりませんが、以下のような様々な症状や日常生活の不便を抱えています。

・手足の先がしびれる。怪我をしても痛くない。やけどをしても熱くない。

・手の感覚がなく物を落としてしまう。字を書けない。

・手がふるえて、ボタンをかけられない。

・まわりが見えにくくなり、ふすまや壁にぶつかる。

・つまずきやすい。ふらつく。

・手や足がつる。

 

2 水俣病の発生

昭和25年ころから、水俣湾沿岸地域で魚が大量に浮上したり、猫が狂い死にするなどの現象が見られるようになりました。

当初、原因は分からず、奇病や伝染病として地元では怖れられていました。

昭和31年5月1日、チッソ水俣工場付属病院の院長が、原因不明の中枢神経疾患が発生したことを水俣保健所に届け出ました。この日が、水俣病の公式確認の日にあたります。

当時、水俣病の原因となるメチル水銀は、チッソ水俣工場で化学製品の原料(アセトアルデヒド)を製造する工程で生成され、それが工場廃水に含まれた状態で不知火海に排出されていました。不知火海に流されたメチル水銀は、食物連鎖を通じて魚介類の体内で蓄積されていき、その汚染された魚介類を地域住民がたくさん食べたことによって、水俣病という深刻な公害病が広がることとなりました。

メチル水銀による汚染は、老若男女を問わず地域住民のすべてに及び、さらには、まだ生まれていない胎児にまで被害を及ぼしました。

 

3 第一次訴訟

水俣病が公式確認された後も、チッソは、メチル水銀を含んだ工場排水を流し続け、多数の水俣病患者が発生し続けることとなりました。

このような中で、一部の患者と親族が水俣病患者家庭互助会を結成して補償を求めましたが、結局、昭和34年の年末、死者でも30万円程度の見舞金契約の締結を強いられました。

その後、チッソは、昭和43年5月にアセトアルデヒドの製造をやめ、その4ヶ月後の昭和43年9月に、国は、ようやく水俣病がチッソ水俣工場の廃液を原因とする公害であったことを認めました。

その後も互助会とチッソとの間で交渉が続きましたが、当時の厚生省が設置した第三者機関は、患者側に対し、同機関が出した結論に一切の異議を述べないという白紙委任状の提出を求めました。

このような手法に応じることができないとして、裁判所での解決を求めて昭和44年6月に提起されたのが、水俣病第一次訴訟です。

昭和48年3月の熊本地裁判決では、チッソの責任を明確に認め、1600~1800万円の賠償を命じました。

 

4 行政による水俣病認定制度

第一次訴訟の判決を受けて、チッソと患者団体との間で、補償協定が締結されました。補償内容は、一時金1600~1800万円、その他に医療費、年金、葬祭料等の支給が定められました。そして、この補償協定は、その後に認定される被害者にも適用されることが約束されました。

そこで、多くの患者が、補償を受けるために熊本県や鹿児島県に公害病の認定を申請する事態となりました。

しかし、認定申請が急増したため、国は、昭和52年に、水俣病と判断する条件を厳しくし、それまでは1つでも症状があれば水俣病と認めたのを、複数の症状がないと認めないようになりました。

 

5 第三次訴訟、95年政治解決

そこで、被害者らは、国の姿勢を変えるため、昭和55年に、チッソだけでなく、国や熊本県も被告にして第三次訴訟を起こしました。この第三次訴訟は、熊本のほか、大阪、京都、東京など全国各地で起こされ、各地裁で勝訴判決が言い渡されました。

そのような状況の中、ようやく国も重い腰を上げ、平成7年に、合計1万人を超える被害者に国、熊本県やチッソが補償することを条件に水俣病問題を解決する「95年政治解決」がはかられました。

 

6 ノーモア・ミナマタ訴訟へ

しかし、唯一、政治解決を拒み、大阪で裁判を続けた水俣病関西訴訟の原告は、平成16年に最高裁で勝訴判決を勝ち取りました。その判決では、国の水俣病の認定基準が事実上否定されました。

そこで、被害者は、国の認定基準が緩和されることを期待して県に公害病の認定を申請しましたが、認定基準は依然として厳しいままでした。

そこで、被害者が、裁判所に最後の望みを託して、平成17年に起こしたのがノーモア・ミナマタ訴訟です。この訴訟は、熊本のほか、大阪、東京、新潟でも起こされ、私が弁護団の一員として加わったのが大阪の訴訟でした。私と水俣病との関わりはここから始まりました。

このノーモア・ミナマタ訴訟は、平成23年に勝利和解により解決するとともに、国に水俣病被害者を救済するための特別措置法を制定させるという大きな成果を勝ち取りました。

 

 

7 現在も続くノーモア・ミナマタ2次訴訟

しかし、特別措置法には居住地(写真②)や年代の制限があったために救済されなかったり、そもそもそのような制度があることを知らず申請できなかった多くの被害者がまだ存在します。そのような取り残された被害者を救済するために現在も続いているのがノーモア・ミナマタ2次訴訟です。

写真②(天草の倉岳山頂からの眺望)  緑矢印の下辺りが水俣。海上に引かれた赤線の向こう側は水俣病特措法の対象地域、手前は非対象地域。この線のどちら側に住んでいたかで救済されるかどうかが左右されることに、被害者は「海に線は引けないはず」と強く反発している。

写真③(ノーモア・ミナマタ第2次訴訟提訴(前列左端が筆者))

 

大阪では平成26年から始まったこの訴訟(写真③)は、今、大詰めの原告本人尋問が行われており、今年中には結審を迎える見通しです。

 

8 最後に

以上、水俣病の歴史は、大変複雑で、一つ新しい救済制度が出来ても、その不備のために救済されずに取り残される被害者が生じるという“イタチごっこ”を繰り返してきたことがお分かりいただけたと思います。

水俣病が公式確認されてから既に65年以上が経つというのに、まだ被害者が救済を求めて裁判を続けているというのは大変悲しいことです。何とか水俣病を解決するために皆さんの声を政府に届ける手段として、弁護団では、現在、ネット署名に取り組んでいます。案内のチラシを同封しますので、よろしければ、ご協力ください。

(ニュースレター2022年新年号より)

 

案内チラシはこちら

井奥圭介

新年ご挨拶

| 2022年1月29日

日の出〜鳴門から淡路島を臨む

 

明けましておめでとうございます。新しい年を迎え、所員一同今年も心を新たに仕事に取り組みたいと念じています。どうかよろしくお願い申し上げます。

 さて、過ぐる年は、前年に引き続き新型コロナウィルスの全世界への感染拡大による社会・経済・生活への計り知れない被害をもたらした1年でした。そしてその勢いは昨年末にやや沈静化したのも束の間、異種株オミクロンの発生により新年度の第6波が懸念される状況です。

 こうした中で、私たちの世界は、地球温暖化による自然災害の頻発や格差拡大と貧困化の増大、独裁権力者の横暴と戦争の恐怖など負の言葉が数多く並びます。それだけに安全・安心の平和な世界の実現に向けて、私たちはそれぞれの立場や能力を生かして力を尽くすべき時だと思います。

 私事にわたりますが、私は昨年6月、日弁連から「法曹在職60年表彰」を受けました。

 

 

「人権の擁護と社会正義の実現を使命としてたゆまざる努力を重ねてこられまた司法制度の改善発展のため多大なる貢献をされました」との表彰状にふさわしい活動をしたとはとても言えませんが、60年もの間、少なくとも弁護士の使命を果たそうとの思いを常に自戒しながら行動を続けてきたことは確かでした。残り僅かな余生もこの心掛けを守り、人々のために寄与できればと念じています。

 皆様方のご健勝ご自愛をお祈りし、新年のご挨拶といたします。

二〇二二年 元旦 (弁護士 赤沢敬之)

(ニュースレター2022年新年号より)

赤沢敬之

ステイホームでも歩く!

| 2021年9月3日

 残暑お見舞い申し上げます。

 この号が発行される頃にはパラリンピックの真っ最中ですね。いろいろ物議のあったオリンピックですが、コロナ下の人々にたくさんの感動を与えてくれたことは間違いないでしょう。僕も何度目頭を熱くさせたことか。パラリンピックもきっと我々に多くの勇気と感動を与えてくれているはずです。

 そんな中、未だ変異株が猛威を振るう新型コロナ。デルタの次はラムダ、はては星座の名前を付けるとか。もういい加減にしてほしいですよね。

 一方で政府はといえば、現役世代へのワクチン普及もなかなか進められず、感染症5類格下げの一手も打てず、あいも変わらず緊急事態宣言のバーゲンセール。寝る間も惜しんでコロナ対応に当たってくださっている医療関係者の方々、自宅療養者に24時間対応で寄り添っていただいているかかりつけ医のドクターの皆さんの苦労が報われるような政策を期待したいのですが・・・。

 こうなると私たちができる最大の自己防衛策は自然免疫力を上げることかもしれません。マクロファージや好中球といった免疫細胞は血液やリンパに乗ってウイルスを退治してくれるそうです。なので運動することで血液やリンパの巡りをよくすることが免疫力を上げるのに何より大事とのこと。ステイホームでも家でじっとしてばかりでは危険。ぜひラジオ体操やウォーキングで体を動かしましょう。

 ちなみに毎日続けるには日記やブログで日々の活動を記録するのがおすすめです。僕もブログを書いています。誰も読まないけど。

(ニュースレター2021年夏号より)

 

散歩中、蝉に止まられるの図

赤澤秀行

東京オリンピックに想う

| 2021年9月3日

皆様 残暑お見舞い申し上げます。暑さに異常気象が加わり、体も心も休まらない夏でしたが、疲れが出ませんよう、お気をつけください。 

 さて、事前にはそもそも開催すべきかどうかの議論すらあった東京オリンピックは、日本選手のメダルラッシュという結果を残して、終わりました。これは、開催前からある程度予測できたことですが、競技が始まり日本選手が活躍していくにつれて、やっぱりオリンピックはやってよかったという意見が強くなっていったように思います。私自身の心中も同様でした。

 特に、私が、今回のオリンピックで印象に残ったことが二つありました。

 一つは、柔道、水泳、卓球など、多くの競技で、男女混合戦が初めて実施されたことです。“多様性の尊重”が今回のオリンピックの目指した理念でしたが、男女相互の尊重もその一つです。しかし、それを実現するには、頭の中で考えるだけではダメで、一つの目的に向かって男女が協同することが最も近道なように思います。男女混合戦はまさにそれを具体化したものでした。

 もう一つは、スケートボード、自転車BMX、スポーツクライミングなど、いわゆるストリート系の新競技の採用です。実のところ、ほとんど知識のなかった私は、そうした種目に興じる若者は、どちらかというとあまり行儀がよろしくないタイプという一種の偏見を持っていました。しかし、スケートボード金メダルの堀米雄斗さんのそのまま高校の生徒会長が務まりそうな容貌や、メダルを争うライバル同士でありながら相手の技が決まった時には自分のことのように喜び合う選手の姿を見て、これからはこうした若者が世界を動かしていくのだなという思いを強くしました。

 色々なことを感じさせてくれた選手には「ありがとう。お疲れさま。」と言いたいです。願わくは、コロナ禍の制約のない中での大会にしたかったというのは多くの国民の思いでしょう。

(ニュースレター2021年夏号より)

 

執務室にて

井奥圭介

コロナ爆発と五輪

| 2021年9月3日

 昨年2月から世界を覆い尽くした新型コロナウィルスの感染拡大は、約1年半を経過した今も留まるところを知らず、世界の感染者が2億人を超え、わが国でも既に100万人を突破し、医療体制の崩壊が現実のものとなっています。東京を中心に発せられた緊急事態宣言の危急時に無理やり開催した無観客の東京五輪が8月8日に幕を閉じ、続くパラリンピックが、現在行われている最中です。

 1年延期の後のコロナ拡大の中、政府や東京都は、医療専門家や国民の多数の中止を求める声を無視し、迷走を重ねた結果IOC(国際オリンピック委員会)のバッハ会長などの「五輪とコロナは無関係」との「天の声」に従い、「安心安全」の一語を繰り返しつつ、何とか無観客の開催に到りましたが、果たしてこの「五輪」は今後どのように評価されるでしょうか。

 私も、この危急下に競技に参加した世界のアスリート達の苦労や実技には多少の興味を覚えましたが、連日のテレビやマスコミの熱狂を煽るメダル獲得競争や開会式・閉会式の報道には、「異次元の世界」の出来事のように漫然と眺めるだけでした。

 この2年近くの私たちの日常生活は、コロナとの終わりなき戦いの中で、マスクの着用、3密の回避、不要不急の外出自粛、種々の会合の中止などが習慣化した平板な日々の連続で、人との繋がりが薄れゆく毎日でした。平板な日は進行が加速度的に早く、貴重な時間がどんどん切り取られる思いですが、恐らくはしばらくの間は「コロナとの共存」の日常が新たな生活様式になるのではと予感します。そのためには、「自助第一」から脱却し公的支援策の確立を本位とする政治体制を作ることが必要です。そして、「安全安心」の一つ覚えの繰り返しだけで「感染者の自宅療養」を医療政策とする現政権やこれを支える関係者の責任を問い続ける第一歩が今秋に行われる衆議院議員選挙だと考えます。

 イタリア・ルネサンスはペストという大災厄の苦難を乗り越えた末に花開いたといわれますが、我が国もこのコロナの厄災を乗り越え、希望に満ちたルネサンス(再生)を成し遂げることを期待してやみません。

(ニュースレター2021年夏号より)

赤沢敬之

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