事務所便り

忘れられない日

| 2026年8月4日新着

夏の日の午後、徳島県板野郡撫養町(現鳴門市)の国民学校4年生だった私は、海水パンツ姿で淡路島の対岸である岡崎海岸の砂浜に向かっていた。

家を出て数分足らず、右側にある代議士三木武吉の山荘から「忍び難きを忍び・・・」の声が聞こえてきた。何だろうと思って立ち止まって聞くと、大東亜戦争の敗北を告げる玉音放送だとわかり、子供心にも戦争が終わったと安心し、海岸に向かい海水浴に興じた。昭和20年8月15日のことであった。

 その前年の昭和19年10月、父の事業のため家族で渡っていた上海から、祖母、母、妹3人、私の6人は父を残して引き揚げてきた。戦況を思えば、それは今生の別れになるかもしれないという覚悟での別離であったが、幸い父は数年後に無事帰国を果たした。引き揚げた家族は、しばらく父の実家の農家で暮らしたあと、岡崎の自宅に移っていた。

 当時すでに戦局は日本の敗勢で、徳島にもB29が襲来し、焼夷弾による火事が遠くの山に点滅するのを家から見た記憶もある。学校での軍事訓練、自宅庭の防空壕掘りなど、子供心にも恐怖が植え付けられていたのであった。

 やがて、昭和21年11月3日に日本国憲法が公布、翌年5月3日に施行となり、日本は軍国主義国家から平和と民主主義の国家に生まれ変わった。学校でも教科書の一部の黒塗りや「御真影」の焼却で教育が一変した。学校で配られた副読本「あたらしい憲法のはなし」の復刻版は今も手元にある。

 こうした経緯で、以後およそ80年の間、わが国は一度も戦争をせず平和を維持してきた。しかし近年の高市政権は、選挙での大勝を楯に、国民の声を十分に聞くことなく平和憲法の改定を進めようとしている。アメリカのトランプ政権の強硬な姿勢に、この国が追随するようなことがあってはならないと、改めて思う「8月15日」である。 (弁護士 赤沢敬之)

(ニュースレター令和8年夏号より)

赤沢敬之

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