弁碁士の呟き

囲碁雑録(9)-1988年『兄弟子への「恩返し」』②

| 2017年6月23日

(①から続く)

 やがて国会に出られ、とても時間の余裕など見つけることのできない環境に身を置かれた正森さんとの対戦は、7、8年間は途絶えることとなった。
仄聞するところでは、こうした時期でも、正森さんは議員宿舎での僅かな夜の余暇には独習怠りなく、議員の大会で度々優勝を勝ち取られていたそうである。

 その後、今を去る7、8年ほど前からは、議員の仕事に実績を重ねられ多少のゆとりもできたのであろうか、必ず盆暮の休み前になると、東京から「今日国会が終わり明日帰阪する」という夜の電話が私の自宅に掛かるのが習わしとなった。
私の子供など、「衆議院議員の正森です」という電話に、「なんでお父さんにそんな人から電話がかかるの」と怪訝な表情で取り次ぐ始末である。
私もそうした時節になると、そわそわして、そろそろ電話がある頃だと思っていると、だいたいはそれが的中するのだった。
そうして毎年2回は、約束の碁会所に赴き、半日をかけて恒例の対局を続けてきたものである。

 最近では、私が白を持つことがやや多くなったが、決して正森さんの棋力は衰えるどころか、多忙な激務の中にありながら、なお上達の一途を辿っているのには感心させられる。
ともかく、私と同様無類の碁キチである。
棋風は、昔から本格派であったが、この頃はとみに力強さを増し、立派な六段の実力を備えている(関西棋院六段の免状はすでに取られ、さらに東京での日本棋院の認定大会や通信講座でもその資格が認定されている。かつて故押谷富三先生宅での黒田了一先生の大阪府知事時代の碁会で正森さんの対局を見たという関西棋院の石井新蔵九段も実力六段の太鼓判を押されている)。

赤沢敬之

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