弁碁士の呟き

囲碁雑録(10)-1988年『兄弟子への「恩返し」』③

| 2017年6月30日

(②から続く)

新手登場 (第一譜)

 さて、初めに書いた予感が見事に当たり、正森さんは準決勝で優勝の最右翼と目されていた中森宏さんに激戦の末勝ちを収め、吉永三治さんのシチョウの見損じに救われ決勝に進むことができた私との対戦が実現することになった。
久しく胸を借りてきた兄弟子への「恩返し」の絶好の機会である。

 正月休みに私は、「棋道」の1月号で、昨年11月の天元戦挑戦手合い第二局において趙治勲九段が小林光一棋聖に試みた、大ナダレ定石の「革命的新手」と評された一手を紹介する棋譜に接した。
解説には、従来の手段との比較検討とこの新手の値打ちが書いてあったが、この新手に対する適切な応手については将来の検討課題であると記されていただけであった。
私は、この一連の手順を記憶し、できればこれを使ってやろうとヒソカに考えていたのであった。

 1月16日の午後、会館4階でいよいよ対局開始。
立会人兼記録係をお願いしたのは、2年前の優勝者で今回は日程の都合で参加されなかった強豪上田耕三さん。
隣りでは中森・吉永さんの三位決定戦とB組決勝の布井要一・福村武雄先生の一戦も開始されている。
観戦には、若手の有望株西垣昭利さんや娯楽室の常連で研究熱心な大野峯弘先生、香川文雄先生などの顔も見える。

 対局前の雑談で、正森さん日く、「上原洋允さんから、赤沢君はもう勝った気分でいるとの話を聞いたよ」と軽く牽制球。
握って私に黒番が当った。
「これは作戦をたてやすいぞ」と思うかたわら、「テキもさるもの、なにか勝負手を放ってくるのではないか」と予想した。

 序盤の布石は、碁の骨格を決める大事な段階である。
黒1・3・5に白は6と高ガカリ、私は黒7と下にツケて簡明な定石の展開を予定した。
ところがである。
白は、一瞬の躊躇もなく8と突き当たってくるではないか。
ナダレである。イヤな予感がした。
やむなく定石の手順に従い白16まで進み、しばし小休止し次の手を考える。
ここは定石選択の岐路である。
21の点に曲がるのが外マガリ、17が内マガリで、その後の展開が大きく異なる。
チラッと先に紹介した新手が浮かぶ。
外マガリを選べばこの手は避けられるのだが、テキの勉強ぶりを試してみるのも一興と、ついいたずら心が出て黒17と内マガリの方向に向かう。

 難解定石ながら双方間違えることなく黒33まで進んだところ、ついに出た。
白34のツケ、これこそ例の新手ではないか。
「やっぱりか!」と思わず叫び声。
ニヤリと笑った正森さん。「してやったり」の会心の笑みである。
仕掛けるつもりが逆になり、私もややうろたえたものの、そこはポーカーフェイスを保ちつつ、小林棋聖にならって黒35と応える。
白38までは、天元戦と殆ど同じの堂々たる運びである。
新手を逆用されやや黒不利とはいっても、それはプロの高度な次元での話。
アマにとっては序盤でのこの程度の有利不利は、実際には大勢に影響はないといってもよいのだが、相手の思うツボにはまったという心理的負担は拭えない。
ただ、黒35はグズミといわれる愚形で普通はこうした形を打つと叱られる手だが、棋聖の打った手であることを研究していたためにこれを借用することができたのは幸運であった。
もし、これを知らなかったとすれば、おそらくは私はこの手には思いも到らず別の手を選び、この段階で大打撃を受けテキをさらに喜ばせていたことだろう。
その意味で、私の正月の勉強も役に立つたということになる。
先日たまたまお会いした機会にこの棋譜を検討してもらった日本棋院の石井邦生九段からも、この段階については、「お二人ともよく研究していますね」とおほめの言葉を頂いたのであった。

 ところで、黒39からは私本来の手となり、やっとプロ対局の次元からアマの碁に戻る。
下手に棋聖のサル真似を続けると、相手の研究にハマつてしまうと警戒したのである。
黒39から47まで、少考しながら中央にトビ、白は48と上辺に開く。
私としては、この新手のためにやや遅れをとったかと考えていたが、石井九段に訊くと、白が42が重く(一路左にトブベき)黒がややリードの形勢とのことである。
プロの感覚は分からないものである(以下の評は同九段による)。

(④につづく)

赤沢敬之

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