弁碁士の呟き

碁縁は巡る

| 2023年1月18日

昨年7月、牛栄子4段(23歳)が女流最強戦・扇興杯で最年少の仲邑菫2段を破って優勝した際、母上の牛力力さん(ニュー・リーリー中国棋士)にお祝いのメールを送り、久しぶりの交流が復活した。

牛栄子さんを特集した囲碁雑誌

丁度7年前の2015年7月8日に、力力さんが当時高校1年生の栄子初段の大阪での初対局の付き添いとして来阪され、19年ぶりの再会に懐かしい思いをしたものだった。

2015年に当事務所を訪問された牛栄子さんと牛力力さん

遡る19年前の1996年4月、呉清源師が実行委員長を務められる上海での「第3回応氏杯世界選手権観戦ツアー」に「呉清源全集」購読者として参加し、大会観戦のあと船中2泊の長江上流「三峡下り」に呉先生ご夫妻とともに中国古代の面影を偲んだのだが、呉師の秘書役リーリーさんがなにかとお世話をされていたのが印象的だった。今回のメールにリーリーさんから丁寧な謝辞があり、何回かメールのやり取りをした。

三峽下りでの呉清源師(手前)と牛力力さん

そして10月15日、私の留守中に兵頭さんという方から事務所に電話があり、囲碁関係の人とのことで手紙を送る旨の伝言を聞いた。

ハテどなたなのか、どこかで会ったような微かな記憶があったが思い出せない。そして4日後に兵頭俊一さんからの書簡と資料が届き、拝見して驚いた。遥か40数年前の5段当時、大阪のアマ高段者の集まり「昭和会」で対局したことがあり棋譜も残っているとのこと、ただびっくりであった。そして同時に、何故私のことが分かったのか?

手紙の続きを見て2度の驚き。なんと力力さんとの深い繋がりがその鍵であった。

お送りいただいた資料によると、兵頭俊一さんは、私の3歳下の83歳で兵庫県在住の方で、19年前の2003年にインターネット碁サーバーの「会員の集い(OFF会)」を開設、年2回の囲碁合宿を定例行事としていたが、2011年にこれを「碁苦楽会」と改称して、近畿・中部・九州のほか台湾・ニュージランド・中国などで25回の囲碁合宿を主宰されている無類の囲碁好きである。

そして牛力力さんは、2004年以来、碁苦楽会の指導棋士として合宿に同行され、「栄子ちゃん(当時2段)」もグループに参加されたこともある由である。

兵頭さんは続けて「力力さんから事務所を訪問されたことをお聞きし、『赤沢さんと碁を打ったことがある・・・』と申しますとびっくりされ、その時の写真や貴殿の囲碁コラムの『呉清源師と三峡下り』も見せて戴き、昭和会での対局のことが懐かしくなり、一度お尋ねしたいと思っていました」と述べられている。

なんというグッドタイミングか!今回の栄子さんの優勝のあとの私のお祝いメ-ルに合わせて見事に三者のリンクが完成したようである。「碁縁は巡る」とはまさにこのことなのかと感じ入り、益々囲碁の魅力と奥深さに引き込まれる思いがした次第であった。

久方ぶりに兵頭さんとお会いしてなつかしい昔話を楽しむとともに、40数年前の二人の対局譜を並べてみたいと願う今日この頃である。

(ニュースレター令和5年新年号より)

赤沢敬之

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