私と囲碁 | 2023年9月22日
長らくの間投稿を怠っていましたが、これから少しずつ続編を書いて行こうと思います。
前回までは、私の碁歴のうち主として鮮烈な記憶に残る対局や先人の教えとプロ棋士からの指導の有難さについての記事が中心でしたが、今回からは私が常時囲碁の醍醐味を味わってきたアマチュアの大会や多くの囲碁会について紹介することにします。
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思い起こすと、橋本誼9段の指導の下、新鋭法曹囲碁同好会で5段の免状を頂いた昭和43年(1968)頃から、毎年各種アマ囲碁大会の大阪府予選に参加することが習わしとなった。
朝日新聞社主催のアマ10傑戦、毎日新聞社主催のアマ本因坊戦、世界アマ選手権予選などである。
対局の記録が残っていないが、当初は当然のことながら殆どが1回戦ボーイであった。そうするうちに昭和61年(1986)に日本棋院アマ6段を授与された50歳頃からようやく時々は2、3回戦に進めるようになったが、対局相手の棋力も強さを増すため強固な岩盤に跳ね返されるのが常であった。
一度だけこの壁を越えたのが平成9年(1997)の175人参加のアマ十傑戦府大会でのベスト16進出だった。あわよくば5回戦も突破し十傑入りをと狙ったがそうは問屋が卸さなかった。3年ほど前にこの大会の新聞記事の切り抜きを偶然に机の引き出しの底から発見して驚いたのは、「最年少の小2生、初戦敗退」とのタイトルの主があの井山裕太少年であったことだった。(その顛末についてはこちらの記事を参照)
対戦相手で印象に残るのは、平成11年(1999) 5月のアマ世界戦大阪府予選で2年前の全国学生囲碁十傑戦で優勝した立命館大学の古家正大さん(現日本棋院5段)との対局である。私の白番で中盤まで互角の戦いであったが、終盤に白が見込んでいた下辺の白地がすっかり荒らされ無念の投了。当夜帰宅後採った棋譜が残っている。
なお、アマ大会には、その当時から各種同好会で多忙となり参加していない。そして古家氏とはその後10年を経て、年4回の関西東大会で指導を受けることとなったのは、正しく碁縁の不思議さと言うべきか。同会もコロナ禍により今なお休会中であるが。