弁碁士の呟き

私と囲碁(61)高津高6囲碁会

| 2024年3月29日new!

石井邦生九段(手前右)の指導碁

大阪府立高津高等学校を卒業したのが昭和29年(1954)3月、今から69年も前のことである。僅か3年の青春のひとときを共有しただけの学友たちが今なお集まり年4回の囲碁会を楽しんでいる。

発足の経緯については、平成16年(2004)6月発行の卒業50年記念誌「坊ちゃん嬢ちゃんの半世紀」の記事を紹介するのが適切だろう。

 まず、発会のきっかけを作った村上周郎君の「高6囲碁会の流れ」と題する記事である。

「平成9年(1997)の早春の夕べに同窓会の世話役岩崎佳枝さんに偶々出会い、近く箕面で予定されている同窓会の話となり、同窓会を継続する手立てとしてゴルフ・囲碁の集まりがいいのではとの話となった。早速赤沢さんや丸尾誠一・谷口弘一・藤田貞吉さんの賛同を得て箕面での2次会に碁盤の設営をしてもらい同好者大いに楽しんだあと、定期的な囲碁会を発足することとなった。」(以上要約)

 こうして平成9年(1997)7月に始まった会の様子は、私の「高6囲碁会の愉しみ」と題する以下の記事をご覧いただきたい。

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  「碁仇は憎さも憎し懐かしし」という江戸時代からの川柳はまさに言いえて妙である。「憎さも憎し」相手でも会えば無性に「なつかしく」、互いにたのしく冗談を飛ばしながら盤を囲んで1局の勝負に熱中する。高6囲碁会でも、いつもこうした光景が随所に展開され、世話役の岩崎佳枝さんは男達の他愛もない「生態」を眺めては楽しんでいるふしがある。

 この会も3か月毎に淀屋橋駅傍らの「一ツ橋クラブ」に集まり平成16年(2004)1月には23回目を数えるまでになった。当初参加者は7,8名だったのが、現在では20名を超す数となった。

しかしこの間、年来の好敵手強豪山口清己6段、「品格ある打ち手」杉森清和初段の急逝は残念なことであった。最近は、石井邦生9段という願ってもないトッププロに時々お出で願い、3面打ちの指導を受けるので、会員の棋力向上は目覚ましい。平成15年(2003)1月の例会では、9名が指導を受け、ことごとく敗戦のなか、藤田貞吉3段が5子局で1目勝ちという大金星を挙げたが、局後の第一声は「誕生日プレゼントありがとう」という嬉しい話であった。

 藤田君と谷口弘一3段とは、以前から組んずほぐれつの大乱戦を演ずる「力戦派」、藤田君の天敵丸尾誠一3段や山中幹夫5段、前田肇4段、溝端康夫3段、玉田友英初段は「本格派」。岩本義史6段は私の好敵手で研究熱心な粘り強い「理論派」。村上周郎2段、中川博初段、多屋貞夫初段らは「早打ち」の「愉楽派」か。村上君を「目の敵」とする向山裕三郎2段は、布石感覚に見るべきところのある「感覚派」であり、大崎重弘、青木敏之、山岡紀彦、西原弘各初段、大神薫4級らは「発展途上派」である。また、近年碁を始めた八木幸子さんが、「楽しく打てること」を目標として熱心に参加されているのも嬉しいことである。そして、かく言う私7段は、「仕事より碁に深入り」してしまった「耽溺派」とでもいうべきか。・・・ 

 なにせわれわれは「本因坊9連覇」の故高川秀格名誉本因坊を大先輩に仰ぐ身であり、これからも益々の盛会が期待されるところである。 (2023.10.13)

赤沢敬之

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