弁碁士の呟き

私と囲碁(22) 「爛柯」囲碁倶楽部②ー倶楽部選手権戦

| 2014年11月30日

「爛柯」では、年1回の倶楽部選手権と月例碁会が行われていた。月例の碁会にはよく参加していたが、オール互先の倶楽部選手権戦にはとても私など出る幕はないと思っていた。しかし負けて元々の思いでエントリーしたところ、昭和58年の第1回は準決勝戦まで残り、府代表クラスの松尾鐘一さんに敗れた。また第2回は前年の覇者和田安禮さんと田口哲郎さんという全国クラスの強者同士の決勝戦で田口さんが優勝した。そして私は2回戦でこの田口さんに当たり、なすところなく敗れたと記憶している。

しかし、昭和60年の第3回大会には、前の優勝者は不参加で、運よく決勝戦に残ることができ、羽田囘6段との対決となった。初の手合いであったため無心で臨んだところ、結果が幸いし、思いがけない優勝を飾ることができた。当時の月報を探し出し、棋譜と長崎4段の講評を改めて拝見し、小生なかなか落ち着いた対応をしていたなと思わずニヤリとしたものである。なお、その後も何回か参加し準優勝2回となったが、何回目だったかの大会で先に勝利を譲ってもらった羽田さんに当たり、そのときは見事リベンジされ、羽田さんが優勝した。因みに、その羽田さんとは、20数年の時を経て、1昨年、昨年に開催した「医師・弁護士対抗親善碁会」で対局し、打ち分けに終わったのも奇しき縁である。

この優勝がきっかけで、まわりの仲間から声が出て、翌年、石井邦生9段の推薦により、私の50歳の誕生日の日付で日本棋院から6段の免状をいただくこととなった。

その後、私は平成11年8月に胃がん手術による体調不良で夜の対局を控えることにしたため、数年後に「爛柯」を退会したが、現在も月1回の弁護士の研究会でお世話になっている。(続)

赤沢敬之

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