弁碁士の呟き

私と囲碁(11)  正森成二弁護士との初対局 

| 2014年9月7日

私が弁護士を始めてから2年ほどした昭和38年5月、事務所のボス山本治雄先生が吹田市長選挙に立候補した。このときは現職市長と争い破れたものの、次の昭和42年には無事当選。昭和45年3月からの千里丘陵における日本初の万国博覧会の地元市長として多くの功績を残された。この間、昭和41年2月に事務所は裁判所の斜め筋向いのホワイトビル2階に移り、以来昨年夏まで47年有余の長きにわたりここで執務することとなる。

この時期は、一人残された私にとって、仕事や事務所経営の上で一本立ちをするための試練の時節であった。昭和41年頃からの2年間ほどは仕事に熱中し、なんとか事務所維持の目途がついたので、昭和43年に辻公雄君を私の弟子第1号として迎えた。

そんなふうに仕事に没頭する時期ではあったが、一方で、私の囲碁人生に大きな影響を与えてくれる人物との出会いもあった。昭和37年頃、弁護士会館娯楽室で3子を置いて手合わせをしていただいた先輩の故正森成二先生である。同氏は私の3期上、学生時代の病気療養の関係で9歳の年長であったが、この対局がきっかけで親しくなり、以後仕事の合間を縫っては対局を重ねることになった。正森さんを目標に「追いつき追い越せ」の努力を重ねることが当時の私の課題であった。初めてプロ引退棋士(お名前は失念したが)の自宅の教室に同行し、指導碁なるものを初めて体験させてもらい、「野性の碁だが見込みはある」との嬉しい講評をいただいたことも忘れられない思い出である。(続)

赤沢敬之

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