カテゴリ:日々の雑感
旧事務所のホワイトビル
昭和が平成に変わった1989年、私は29歳、弁護士3年目で、“独身貴族”を謳歌していました。それから30年、一番の身上の変化は、結婚して、子どもも3人出来たこと。一番上の長男はもう社会人になりました。子を持って初めて分かったことも多いように思います。
そして、弁護士生活は33年目に入りました。平成の30年間は弁護士として過ごしたことになります。初めの頃は、ただひたすら依頼を受けた事件を終わらせるのに四苦八苦でしたが、弁護士という職業を30年以上続けてきて、奥の深い仕事であるとの感がますます強くなっています。
弁護士の仕事は、少々ニヒルな言い方をすれば、人同士の喧嘩の肩代わりという側面もありますが、それだけではつとまらない。その紛争をどのように解決することが、依頼者はもちろん、場合によっては事件の相手方を含めた全ての関係者にとって一番よいのか、そのことを考えていないと、いい仕事はできないように思います。
平成の間に事件の依頼を受けた依頼者の方々もかなりの数になります。事件の依頼を受けるということは、その人の人生になにがしかの関わりをもつということ、事件が解決することにより、その人の人生が良い方向に向かったのであれば、弁護士として喜ばしいことです。
時代はこれから令和に向かいます。新しい時代の到来とともに、法律紛争はますます複雑になることが予想されます。しかし、人と人との関係の基本は変わらないはず。したがって、弁護士に必要とされることの基本も変わらないはずです。気持ちを引き締めて、新しい時代を迎えたいと思います。
(ニュースレター平成31年春号より)
日々の雑感 | 2019年4月4日
こんにちは!相続アドバイザーの赤澤秀行です。
今月1日に、ようやく新元号が発表されましたね!
令和(れいわ)
当事務所でも早速令和に対応しました^ – ^
「令」というと、上から下への命令、というニュアンスを感じる人が多いと思いますし、実際ちょっと違和感を感じた人も多いようです。
ただ、「令」には「律令」とか「法令」とか「政令」のように、「おきて」「きまりごと」すなわち「法」そのものを表す意味もあります。
つまり、「令和」=法のもとの平和。秩序ある調和。(←法律事務所的解釈^ ^)
なので、英BBCが訳した「order and harmony = 秩序と調和」というのはあながち間違いではないような気がしますし、それでいいような気もします(BBCがどういう意味で使ったのかはわかりませんが)。
政府は「beautiful harmony ですよ~!」と海外への印象づけに躍起になってますので^^;、そのうちその解釈が浸透していくのかもしれませんけど。
いずれにせよ、いい時代になって欲しいですね!
日々の雑感 | 2019年3月4日
もう数十年前、高度経済成長が盛期に入る少し前で、国内でも地方の端の地域ではその潤いがまだ行きわたってなく農業も担い手がそれほど老人化していない頃のこと。申立人(訴訟では原告)は二児の母親で、相手方(被告に相当する)は申立人の夫である。まだ幼い二児は父親である相手方とその母(祖母)のもとで養育されている。これは裁判官として私が担当した離婚調停での一期日のことである。
申立人は九州の遠く離れた実家で父親と暮らしている。相手方は本州のとある町で二児とその祖母らと生活している。調停の期日はこの町に所在する家庭裁判所支部で開かれた。
しかし、この日に指定された調停期日の時刻に相手方は出頭しなかった。種々の理由があるのか不出頭の意向は強いようである。このままでは離婚を求める調停は、当事者である相手方の不出頭を理由に不調となる他はない。そうなれば申立人が今後は原告となり改めて離婚を求める裁判(離婚訴訟)提起しなければならなくなる。
申立人から聞くところでは、申立人は調停期日への出頭のため九州での辺境の土地から列車や航空機を乗り継いで来たもので、収穫した米の一俵を売って旅費を捻出したようである。かくなる上は何とか相手方と協議し同意を得て調停による離婚を成立させることができないか、私の苦慮が始まった。
ふとひらめいたのは、出頭しない相手方の住居へ申立人と一緒に赴き、何とか現地調停を試みる途が少しは残されていないかということであった。ここで私は、経験豊かな家事事件書記官の助力を得て、相手方の自宅を急遽訪れる方法を取ることに踏み切った。こうなると申立人を伴って相手方の住まいに上らせて貰えるか否かが、最初の関門となる。
途次の天候にも恵まれてか、相手方の家族へ礼をつくしたうえ、ようやく申立人・書記官を同道し相手方の家庭に上げて貰うことができた。相手方の母親(姑さん)の種々の不満と意見も聞かせて貰うことができたうえ、申立人と相手方とはその場で話し合い、とうとう調停離婚の成立に漕ぎつけるに至った。相手方の家庭でそれまでどおり二児が養育されるという現地調停による離婚の成立であった(幼く小さい二人の幼児は、両親が「離婚」することの意味も、自分の未来がどうなるかということも、知り理解すること自体できない)。
日没にはまだ遠い午後の一刻、私たちと申立人はタクシーに乗り込んだ。本能的に産みの母との別離を悟ったのであろうか、幼い二児は高く手を挙げて並び、母親が遠くへ去ってゆくのを全身でこれを受けとめ、両手を振っていた。 (弁護士 浦島三郎)
(ニュースレター2018年創刊号より)
私が当事務所に入所したのは、かれこれ30年以上前になりますが、入所早々の頃に、赤沢先生から囲碁の教則本を渡され、読むように勧められたことを覚えています。赤沢先生は、当然、私が、それに従い、囲碁を習い始めるものと期待されていたと思いますが、実際は、その期待に見事に反し、これまで、囲碁とは無縁の人生を歩んできました。それが、この度、事務所の企画で、個人的には老後も楽しめる趣味をもちたいという動機と相まって、赤沢先生から、月に一回のペースで囲碁を教えていただくことになり、58歳にして囲碁を始めました。
始めるまでは、正直、白石と黒石を並べるだけの単調なゲームのどこが面白いのかと思っていましたが(それが私がこれまで囲碁を始めなかった主な理由でした)、ルールが分かってくるにつれて、単純なだけに、かえって打ち手の自由な発想が許され、だんだんと面白いものだと思うようになってきました。
赤沢先生の熱心な指導で上達も早い!?
今は、仕事帰りの電車の中で、携帯のタブレットに入れた囲碁のアプリを相手に腕をみがいており、9路盤で15級相当のAI相手に勝ち負け合い相半ばしている状況です。今後の進歩に乞うご期待!
(ニュースレター2018年新年号より)
日々の雑感 | 2019年2月1日
こんにちは!相続アドバイザーでFP・行政書士の赤澤です。
時代は令和時代に移ろうとしている今日このごろ。
今回は今年初めに行った、平成最後、そして人生初のタイ・バンコクのお話です。
昨年の中頃、とある会計事務所の会計士さんと話していたとき、今年のはじめにタイ・バンコクにある会計事務所や法人顧客を訪問するので、よかったら一緒にどうでしょう、というお話をいただきました。
私の職業の一つである行政書士という仕事は、その業務に「ビザ」「入管」というものがあります。
これは、日本に来られる外国人の在留許可の申請書類の作成をサポートしたり、申請の取次をしたりする仕事です。
おりしも、今年4月から改正入管法が施行されました。
この法改正に関してはいろいろと物議を醸していますが、外国人労働者が今以上に増えていくのは確実。
当事務所でも私が行政書士として入管手続きに対応していかなければなりません。
実は、私、海外旅行の経験があまりありません。
海外といえば、学生時代に訪れたハワイ、新婚旅行で行ったイタリア・・・そんなもの。
東南アジアはおろか、おとなり韓国・中国にも行ったことがありませんでした。
まあ、蒸し暑い気候に苦手意識があって、それほど関心がなかったのもありますが。。。
ただ、ビザのお客さんといえば、ほとんどが東南アジア・アジアの方々です。
それらの国の方々とお仕事させていただくのに、やはりお国を訪れたことがあるかないかでは、コミュニケーションの深さが全然違ってきます。
また、今まで興味がなかった国々も、百聞は一見にしかず、です。
なので、ここ何年かは、東南アジアの国々に一度は訪れてみたいと思っていました。
そんなときに、渡りに船のお誘いでした。
そこで、急遽、タイでビザを取り扱っている法律会計事務所のアポイントも追加してもらいました。
あわよくば日本の事務所との提携をお願いしようという目論見です。
しかし、そこで重大な問題が・・・
タイでのオフィス訪問、さすがにタイ語で話すことは無理ですが、少なくとも英語で事務所のアピールをしなければなりません。
まあ、当然といえば当然なんですが。
話が決まって出発まで3ヶ月足らず・・・
英会話などここ何十年もご無沙汰です。
もう、最後は出たこと勝負でいくしかない、と腹を決め、とにかく事務所案内を英文で作成して、想定問答だけを頭に叩き込んで出発したのでした。
早朝集合し、関空からキャセイ航空でタイへ。
途中香港でのトランジットを経て、およそ9時間でタイのスワンナプーム国際空港に到着しました。
時差の関係もあり、到着するとすでに夕刻。
さて、どこに晩ごはんを食べに行こうかと考えていると、会計士さんの携帯に一本の電話が。
会計事務所のクライアントで、タイで会社を経営しておられるYさんからでした。
どうやらバンコク滞在中、Yさんが私たちのアテンドをしてくれるというありがたい申し出のようです。
とりあえず、Yさんと夕食を一緒にしようということになりました。
夜7時頃、私たちが滞在するホテルで、Yさん、その秘書のAさんと待ち合わせ。
そこから歩いて行ける距離にある、バンコクでは有名なタイスキの名店「コカ」に案内していただきました。
初めて食べるタイスキは日本人好みの味でとても美味しかったのですが、それ以上にさらにありがたい申し出が。
なんと、秘書のAさんが私たちのオフィスめぐりに同行してくれるというのです。
Aさんは小柄でチャーミングなタイの女性なのですが、日本語も英語も非常に堪能。
私たちとは普通に日本語で会話してくれます(最初日本人かと思ったぐらいです)。
Aさんが私たちに同行して道案内から通訳までしてくれるということになり、英語でテンパっていた私たち(とくに私 d^^;)の思いもかけない救世主となってくれました。
しかも、Aさん、バンコクの市内観光にも同行してくれることになり、3泊4日の道中、私たちはYさんやAさんにお世話になりっぱなしの旅路となったのでした。
さて、タイの国土は日本の1.4倍で、その中心地バンコクの経済発展は著しく、オフィス街には巨大なビルが立ち並び、建設中のビルもあちらこちらに見られます。
今回訪れたオフィスはどこも広々として、近代的でおしゃれなオフィスでした。
驚いたのは、訪れた会計事務所や法律事務所のディレクターといわれる所長級の管理職の方が、全員女性だったこと。
我々外国人に応対してくれるスタッフも女性ばかりで、日本に比べても、かなり女性の社会進出が著しいと感じます。
ちなみに、Aさんによると、タイの男性は女性に依存する人が多く、いい加減で甘えただそうです(笑)(その辺、イタリアに似てる?)
ブルーワーカーはだいたい男性、会計事務所のような知的産業の担い手は女性が多い、ということらしい。
そんなこともあって、タイの女性も日本と同じように晩婚化が進んでいるそうな。
近代的なオフィス街を少し離れると、昔ながらの屋台が立ち並ぶ町並みがあり、黄金に輝く寺院があります。
夕方にもなるとたくさんの地元の人々や観光客でごった返すようになります。
屋台が並ぶ路地には、残飯を求めてか、巨大なドブネズミが走り回っていてびっくりします。
黄金の寺院と、昭和の頃の風景と、現代の最先端の街が混じり合った、なんとも不思議で熱い空間。
タイの人々は「マイペンライ(大丈夫大丈夫!)」と、楽天的で、社交的。それでいて仏教徒らしい謙虚さも持ち合わせています。
観光地のそばの小さな店で食べたトムヤムクン(旨かった!)のように、辛味と甘味と酸味と旨味がごった煮になったエネルギッシュな街。
そんな印象をタイ・バンコクに持った次第です。
タイを訪れた人が、タイの魅力にハマってしまう気持ちがとても良く分かりました。
私もまたいつか再訪したいと思います。
ワット・ポー(涅槃寺)の巨大な涅槃仏(寝釈迦像)前にて
さて、タイは終活とも深い関係があります。
実は、リタイア・セミリタイアしたあとの第二の人生をタイで過ごす人が年々増えているのです。
日本人の長期滞在国としてタイはここ数年、米国、中国についで不動の第3位。
昨年の統計で7万人を超えました(外務省:海外在留邦人数調査統計)。
「タイ ロングステイ」で検索してみると、その情報の多さに驚くかもしれません。
物価は日本の約3分の1。特にタクシーや電車バスなどの乗り物が非常に安い(写真はタイ名物のトゥクトゥク)。
食べ物は、上を見ればそれこそ日本と変わらない高級料理も食べれますし、屋台ですませば一食100円とかで間に合います。
温暖な気候、温和な人々、日本人好みの食べ物も多く、一方では先進国並の商業施設も増えてきています(写真は昨年開業のタイ最大級の複合施設アイコン・サイアム。日本の高島屋も7フロアにわたって店舗を展開)。
日本では年金だけで生活していくことが今後ますます厳しくなってくる現状もあります。
となると、第二の人生、あるいはもう一つの生活をタイで過ごそうという人が増えているのは当然といえば当然かも知れません。
実際、Yさんに夜の居酒屋に連れて行ってもらったときに、カラオケを歌う高齢者の方々がたくさんいらっしゃいました。
彼らはロングステイ中の方々とのことで、日中はゴルフを楽しんだあと、帰りにマッサージで体をほぐし、夜はお酒を飲んでカラオケを歌うという生活を満喫しているそう。
思わず、羨ましい!と思ってしまいました。
タイ国政府観光庁もロングステイを全面的にアピールしているようで、こんなパンフレットを出しています。一読すれば、あなたも思わずタイに足を運びたくなるかも。
タイ国政府観光庁公式サイトより(https://www.thailandtravel.or.jp/)
というわけで、タイ・バンコクに初めて訪れた感想。
「行って良かった~!」
まさに百聞は一見に如かずですね。
さすがに初めての訪問でタイのオフィスとの提携話、とまではいきませんでしたが(笑)、何事もチャレンジです。
他方で、タイで働く人々や、そこで暮らす人々との交流を通じて、異国文化の理解を深め、今後の業務の糧にするという目的は少しは達成できたかなと思います。
この調子で、他のアジアの地域も訪れてみようと思う今日このごろです。
日々の雑感 | 2016年4月4日
去る3月29日のことである。仕事を終え夜の10時ごろ帰宅したところ、妻から「秀行がインフルエンザに罹ったのか高熱を発し、明日病院に行くとの電話があった」という話を聞いた。秀行というのは同じ事務所で行政書士の仕事をしている長男のことだが、緊急の連絡先として病院に実家の電話番号を教えておくとも話していたとのことだった。
当日私は、朝から宝塚の関係先の会社に出かけ、事務所に戻ったのが午後6時前。秀行の予定表には4時前に外出してどこかの会議に出ていると記載されており、1日顔を合わせなかったので、夕刻以降に発熱したのかなと思い、夜も遅いので様子を見ることにしてその日は連絡をせず終わった。
翌30日の午前11時過ぎ、出勤しようとしていた頃、妻が「秀行から」といって受話器を渡すので、電話に出て「病院の診察はどうだったか」と聞くと、「インフルエンザではなかった。熱の原因は声帯に病原菌が入り抗生物質の薬をもらった。1週間飲んで効果がなければ手術しなければならないと言われている」とガラガラ声で話す。確かにその声は秀行と言われればそのようにも聞こえる。「今はどこから電話しているのか」と聞くと、「大問題が起きて急遽飛行機で東京に来ている」との話である。「熱を出して東京とは一体どういうことか」「病院はどこなのか」と尋ねると「東京・・」と言ったまま電話が切れてしまった。
これはおかしいと思い、「LINE」のメールで秀行に「電話が切れて状況がよく分からん。熱を出して東京とはどういうことか」と簡単な顛末を送る。すると、案の定、「おー来ましたか、オレオレ詐欺!なるほどそういう手を使うわけですな」と早速の返信。妻は「声は変わっていたが確かにヒデの声だった」と言っていたと伝えると、「詐欺電話にひっかからないようお母さんにもご注意あれ」ということで、一連の「騒動」は終わった。
「振り込め詐欺」が新聞を賑わせて久しいが、犯人の手口も益々巧妙を極め高齢の被害者はなお後を絶たないようである。昨27年度の警察庁の統計によれば、認知件数は全国で1万3828件(前年より約90件増)、被害総額476億円(前年より89億円減)という。「振り込め詐欺」には、①成りすまし(オレオレ)詐欺」、②架空請求、③融資保証金詐欺、④還付金詐欺の4類型があるとされ、①がやはり多いようである。
今回の犯行は、用意周到に前夜に「高熱」「声変わり」の伏線を張り、翌日に「東京に急遽出張」という「緊急事態」を演出し、おそらくは「手術費用」「大問題の解決金」を振り込ませることを狙ったものと思われる。私も前夜の「高熱・インフルエンザの疑い」の電話のことは妻からの伝聞だったので、翌朝も事実として信じており、2度目の電話のあとしばらくは、それが一連のシナリオだったとは気づかず、ただ不審な電話だと思っていただけであった。
奇妙かつ貴重な体験をしたが、くれぐれも不審な電話には万全の警戒を怠らないよう願いたいものである。(平成28年4月1日)
日々の雑感 | 2015年1月6日
新年おめでとうございます。本年もどうかよろしくお願い申し上げます。
例年にない厳しい寒さと降雪の中で迎えた正月休みを終え、今日からいよいよ仕事始めです。老いてなお益々の意気込みで仕事と趣味の囲碁に励みたいと願っています。
今年も年頭には多くの方々から心暖まる年賀のご挨拶をいただきました。たとえ1年に1回の交信であっても、あゝあの人は今も元気に過ごしておられると面影を想い浮かべることができるのが年賀状の大きな役割ではないでしょうか。
この正月に届いた年賀状の中に、とくに嬉しい便りがありました。今から18年ほど前に相談を受けたある女性からのものです。当時別居中の夫が大阪から上京して、女性の実家に無断で侵入し、小学入学前の長男を不法に拉致したことから子の奪い合いとなり、その後離婚訴訟に勝訴したあと和解により解決したのですが、その頃事務所によく同行していた4歳の可愛いらしい「長女が昨年大学を卒業し中学校の英語の先生になりました。本当に安心しました。全て赤沢先生のおかげです。あの時私達を支えて下さりありがとうございました」との添え書きがあったのです。
女性とはその後も賀状の交換はしていたのですが、女手ひとつで苦労して育てたあの女の子が今や中学校の教壇に立つとはと尽きぬ感慨を催したものでした。そして、これほどの感謝の思いを伝えていただいたことに、新しい年の門出にふさわしい贈り物であり、これこそ弁護士冥利に尽きるものと感動した次第でした。